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四津山神社のお参りの記録一覧
埼玉県 東武竹沢駅

タケ
2023年04月12日(水)
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★鎌倉街道上道散策(小川町〜寄居町)2
【散策ルート】
①永昌寺〜②四津山神社〜③高見城跡〜④高見原古戦場跡〜⑤今市地蔵堂〜⑥高蔵寺〜⑦兒泉神社〜⑧薬師堂〜⑨三嶋神社〜⑩普光寺〜⑪史跡鎌倉街道跡

 永昌寺から高見方面へ向い四津山へ。四津山神社は四津山の山頂にあり、その麓に高見城跡(四津山城跡)の標柱が在りました。

②四津山神社
 四津山神社は小川町高見にある神社です。祭神は愛宕神で、創建年代等は不詳ながら、愛宕神社と称し山麓にある高見山明王寺の境内鎮守だったそうです。本地佛だった勝軍地蔵像を明王寺住職重誉が京都から授かったのを機に、宝暦9年(1759)に四津山へ遷座したと言われています。明治40年、高見・能増の11社を合祀しています。祭日は春季例大祭4月24日に行われています。
 四津山神社は火遇突智命を始め十七神を祭神として、御神体は勝軍地蔵とあります。古来より火防の神とされて信仰厚く信者は関八週に及ぶそうです。明治に入り神仏分離により山麓の高見、能増の村社十一社を愛宕神社に合祀して、山の地名より四津山神社と改称したということです。

 神社の鳥居から長い石段の参道を登ると祠が見えてきます。その山頂には郭が広がっていました。

③高見城跡(四津山城跡)
 高見城跡は四津山の山頂に築かれた中世の典型的な山城です。城跡からは、北は荒川流域一帯、南は市野川筋を一望でき、鎌倉街道上道を押さえる軍事上の要所に建てられていることがわかります。      
 戦国時代には鉢形城と松山城の中間にあって、重要な役割を果たしたと考えられています。城跡は四津山神社の建つ本郭と北に連なる三つの郭で構成されていて、それぞれの郭は土塁と堀切によって区画されています。城の築城年代や城主については不明な点が多いようで、『新編武蔵風土記稿』には長享元年(1487)に没した増田四郎重富の居城と伝えているようです。

 四津山の山頂からは、東側には関越自動車道が見え、市野川筋南方は杉山城辺りまで眺められます。北東の寄居町今市方面を含め、この辺り一体が高見原古戦場と思われます。

④高見原古戦場跡
 室町時代に山内・扇谷の両上杉氏は鎌倉公方の補佐役として相模・武蔵・上野にかけて勢力を二分していました。文明18年(1486)に扇谷定正が家臣の太田道灌を殺害後、両家は互いに覇権をめぐって争う事になります。長享2年(1488)に両上杉氏は現在の嵐山町菅谷の須賀谷原でぶつかります。山内方は二千騎、扇谷方は千五百騎が争い、多数の戦死者が出たといわれます。この戦の五ヶ月後に両者は再び高見原で戦となります。山内方三千騎、扇谷方二千騎。この時は山内方は多勢にもかかわらす敗北しますが、その後の延徳3年(1491)に再びこの地で両上杉氏は戦を行うことになります。

四津山神社の周辺

②四津山神社 道標

四津山神社(埼玉県)

②四津山神社 入口

四津山神社の鳥居

②四津山神社 参道

四津山神社(埼玉県)

②四津山神社 狛犬

四津山神社の狛犬

②四津山神社 狛犬

四津山神社の建物その他

②四津山神社 社号標柱

四津山神社(埼玉県)

②四津山神社 鳥居

四津山神社(埼玉県)

②四津山神社 石碑

四津山神社(埼玉県)

②四津山神社 参道

四津山神社の建物その他

②四津山神社 石段

四津山神社(埼玉県)

②四津山神社 石段

四津山神社(埼玉県)

②四津山神社 不動明王堂と大黒天石碑

四津山神社の仏像

②四津山神社 不動明王像

四津山神社(埼玉県)

③高見城跡(四津山城跡) 標柱

四津山神社の歴史

③高見城跡(四津山城跡) 説明板

四津山神社(埼玉県)

③高見城跡(四津山城跡) 女道

四津山神社(埼玉県)

③高見城跡(四津山城跡) 本郭跡

四津山神社(埼玉県)

④高見原古戦場跡 祠と標柱

四津山神社(埼玉県)

④高見原古戦場跡 戦場風景

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