くにいちぎじんじゃ
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国渭地祇神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年08月03日(火)
参拝:2020年7月吉日
国渭地祇神社(くにいちぎ~)は、埼玉県坂戸市にある神社。式内論社で旧社格は村社。祭神は八千矛命 天照皇大神 伊弉諾尊 伊弉冉尊の4柱。
創建は不詳。延暦年間(782年~806年)に坂上田村麻呂が東征の帰途に社殿を造立したとも、奥州藤原秀平が創建したとも伝えられている。社号は国一熊野大権現が訛ったものではないかと言われ、江戸時代には「熊野社」と称し、江戸幕府から朱印地10石を下賜され、森戸村の鎮守とされた。明治時代になって、国渭地祇神社と改称した。
平安時代927年の『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵国 入間郡 国渭地祇社 小」の論社とされているが、一般には北野天神社(埼玉県所沢市小手指元町)が有力とされる。
当社は、東武越生線・西大家駅の北方100mほどの県道74号線沿いにある。駅には近いがお店はないので、普通に田舎の幹線道路沿いの住宅街の一角にあるイメージ。境内はちょっとした広場に社殿がいくつか並び、夏祭りを開くにはちょうどいい広さのいわゆる<ザ・村の鎮守>サイズ。境内は木々も少なく古木も見当たらないので、歴史は感じられない。明治時代に入って「熊野社」から「国渭地祇神社」と改称しているので、おそらく式内社ではないのでしょう。
今回は、武蔵国の式内論社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外には誰一人いなかった。
創建は不詳。延暦年間(782年~806年)に坂上田村麻呂が東征の帰途に社殿を造立したとも、奥州藤原秀平が創建したとも伝えられている。社号は国一熊野大権現が訛ったものではないかと言われ、江戸時代には「熊野社」と称し、江戸幕府から朱印地10石を下賜され、森戸村の鎮守とされた。明治時代になって、国渭地祇神社と改称した。
平安時代927年の『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵国 入間郡 国渭地祇社 小」の論社とされているが、一般には北野天神社(埼玉県所沢市小手指元町)が有力とされる。
当社は、東武越生線・西大家駅の北方100mほどの県道74号線沿いにある。駅には近いがお店はないので、普通に田舎の幹線道路沿いの住宅街の一角にあるイメージ。境内はちょっとした広場に社殿がいくつか並び、夏祭りを開くにはちょうどいい広さのいわゆる<ザ・村の鎮守>サイズ。境内は木々も少なく古木も見当たらないので、歴史は感じられない。明治時代に入って「熊野社」から「国渭地祇神社」と改称しているので、おそらく式内社ではないのでしょう。
今回は、武蔵国の式内論社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外には誰一人いなかった。
大通りに面した、境内入口の<鳥居>。
鳥居をくぐって右側にある<手水舎>。
鳥居をくぐって、真っ直ぐ進んだ突き当りにあるのが<国渭地祇神社>の社殿と思いきや、境内社の<八幡神社>。
八幡神社の前から右に90°曲がって、まっすぐ進むと、こちらが<国渭地祇神社>の社殿。
<拝殿>全景。小さめのサイズ。
<拝殿>正面。風通しは良さそうだが、あんまり開くことはないのかな?
<八幡神社>と<国渭地祇神社>の間の奥にある<秋葉神社>。
鳥居をくぐってすぐ左側にある、大きな<社務所棟>。大きくて新しそうだが無人...
最後に<境内>全景を復習。左から順に、境内社の<八幡神社>、境内社の<秋葉神社>、<国渭地祇神社>の社殿。
すてき
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