かわごえひかわじんじゃ
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川越氷川神社の編集履歴
2021年01月02日 20時33分
ご由緒
古墳時代の欽明天皇二年九月十五日鎮座。
下って室町時代の長禄元年(1457)、川越城の築城に当たった太田資長(後の道灌)は篤く当社を崇敬し、献詠和歌を残している。
また、戦国時代の天文六年(1537)の合戦の様子を描いた「川越軍記」には、その当時も人々の参詣が盛んであったことが記されている。
小田原北条氏滅亡後の天正十九年(1591)以来、関東を支配した徳川氏は、重臣を川越城主として江戸北方の守りにつかせたが、以後、幕末まで歴代城主は藩領の総鎮守として当社を尊崇し、文禄四年(1595)酒井忠利が社領を寄進したのをはじめとして、その後老中松平信綱らが社領を加増、さらに寛永五年(1628)酒井忠勝が本殿を修理した。
その後老中柳沢吉保らが社殿の造営費の寄進や修理を行うなどし、嘉永二年(1849)松平斎典の寄進により現在の本殿が竣工している。
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