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2025年06月30日(月) 00時13分 by神祇伯
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仙波東照宮は、喜多院第27世住職天海僧正が徳川初代将軍家康公を祀ったものです。 家康公は、元和2年(1616)4月17日、75歳で薨去されると、いったんは静岡県の久能山に葬られましたが、家康公の遺言に従い、元和3年(1617)、2代将軍秀忠は亡父家康公の遺骸をあらためて日光に移葬しました。 その時、久能山から日光に至る道中、同年3月15日出発して、道中の各宿に泊りつぎ、同23日、仙波喜多院の大堂(薬師堂、のちに東照宮本地堂とも言いました)に到着しました。 このところで天海僧正 は親しく導師となって、3月26日まで、実に4日間、衆憎を集めて、丁重な法要を厳修しました。 この長い法要を終えて、次宿・行田忍にお送りした後の元和3年(1617)9月16日、天海僧正は家康公在世の渥恩に感謝の気持ちを伝えるため、また遺柩止留の跡として、家康公の像(高さ八寸八分)を作り、大堂に祀ったのが東照宮の初めです。 天海僧正は、この東照宮を広く多くの方に崇拝してもらうため、現在のこの地に高さ五間の丘陵を築きあげて立派な社殿を造り、寛永10年(1633)11月16日遷祀しました。 同年12月24日には、後水天皇が宸翰御神号として「東照大権現」の勅額を下賜されました。ところが寛永15年(1638)1月28日、川越街に大火災が起こり、仙の神社、堂塔、門前屋敷まで延焼してしまいました。これを聞いた3代将軍徳川家光は、直接東照宮再建の計画を立て、同年3月、川越城主堀田加賀守正盛を造営奉行に命じ、天海僧正を導師として、寛永17年(1640)5月竣工しました。現在の社殿はこのときのものです。 以来、社殿並びに神器等はすべて幕府が運営するものとなりましたが、もともと自祭であり祭資は幕府からいただいておりませんでした。そこで喜多院第29世住職周海僧正(天海の高弟)は祭典の完備を期して、寛文元年(1661)3月、松平伊豆守信綱(川越城主)を介して、4代将軍徳川家綱にお願いをし、大仙彼の地200石を祭資に供せられました。 その後、幕府の手でたびたび修理を加えられ、弘化4年(1847)にもっとも大きな修理を行いました。明治2年(1869)、諸領一般上地の令により社領を奉遷し、逓減割となり、同年の神仏分離令により、喜多院の管理を離れました。 [川越八幡宮HP当神社由緒書きより]
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049-222-1396
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049-222-1396(川越八幡宮)
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《主》徳川家康
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徳川家康
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https://www.kawagoe-hachimangu.net/%E8%A4%87%E8%A3%BD-%E7%A5%9E%E5%89%8D%E7%B5%90%E5%A9%9A%E5%BC%8F-3
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日曜・祝日
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参拝自由
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約10分
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なし
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元和三年(1617年)
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三間社流造
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1月17日 例祭 4月17日 春祭 8月17日 夏祭
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○国指定重要文化財 ・本殿 ・瑞垣 ・唐門 ・拝殿・幣殿 ・石鳥居 ・随身門 ・三十六歌仙額36面 ○市指定有形文化財 ・木造随身像 ・木像獅子狛犬像
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徳川家康公木像