いまじゅくやさかじんじゃ
今宿八坂神社のお参りの記録一覧
★鎌倉街道上道散策(毛呂山町〜鳩山町)4
【散策ルート】
①大薬寺〜②十社神社〜③大類古墳群〜④苦林野古戦場跡〜⑤今川橋〜⑥圓正寺〜⑦八坂神社〜⑧赤沼供養塔〜⑨街道杉の跡〜➉鎌倉街道案内(鳩山中校庭フェンス)
県道ときがわ坂戸線へ戻り、今宿(反対側)の住宅地の中に八坂神社があります。
⑦今宿八坂神社
今宿八坂神社は、比企郡鳩山町今宿にある神社です。越辺川の河岸場として賑わった所で、度々悪病が流行したことから、病魔退散を願って寛文12年(1663)に京都八坂神社を勧請したといいます。江戸期には熊野社が今宿の鎮守として祀られていましたが、明治維新後の社格制定に際し当社が村社に列格、明治42年天神社と住吉社を合祀しています。夏例祭で奉納される八坂神社祭囃子は、鳩山町無形文化財に指定されています。祭神は健御賀津智命で、境内社は諏訪社、稲荷社がある。祭日は夏季例祭7月24・25日に近い日曜日、秋季例祭は10月17日に近い日曜日に行われています。
県道ときがわ坂戸線の今宿の交差点を北上すると、程なく東斜めに分岐した旧街道に入ります。入ってすぐに、交差する道があり、その角に赤沼供養塔と呼ばれる道標を兼ねた石塔があります。
⑧赤沼供養塔
中央の安永8年(1779)の日本廻国四国七遍供養塔は、鎌倉街道上道の案内書には必ず紹介されている道標です。供養塔には「北ハひきの岩殿道」「中ハすがや野原道」「西ハ小が者ちち婦道」と刻まれていて、「中ハすがや野原道」にあたるのが鎌倉街道の道筋を指しているようです。
道はこの先で再び県道に合流しますが、鎌倉街道は電話局の西側から畑の中へ続いていたといいます。『歴史の道調査報告書』には次のように書かれています。日照りが続くと菜畑の菜の葉が6メートル程の幅で黄色に変わるところがあり、其の場所が街道跡で、地面を突き固めて通りやすくしたためであろうということです。
⑨街道杉の跡
電話局の西側から畑の中へつづいていた道は、鳩山町保健センター東の墓地の辺りに繋がっていたそうです。この一本杉のところには、かって「街道杉」という大きな杉の木があったといいます。『歴史の道調査報告書』には、掘割状遺構が雑木林の中に残されていると書かれていますが、今は全くわからず墓地の手前に農道があるだけです。
街道はこの先の鳩山中の校庭へと続いていたようです。今はその痕跡を辿ることはできませが、以前は鳩山中の校舎直下に掘割状遺構があったそうです。
➉鎌倉街道案内(鳩山中校庭フェンス)
校舎の改築に伴い、今は街道その位置すらもわからないといいます。校庭南のフェンスの内側に鎌倉街道の案内版があるのみでした。
⑦八坂神社 社号標柱
⑦八坂神社 鳥居
⑦八坂神社 手水舎と神木
⑦八坂神社 狛犬
⑦八坂神社 狛犬
⑦八坂神社 神楽殿
⑦八坂神社 説明板
⑦八坂神社 拝殿
⑦八坂神社 拝殿
⑦八坂神社 拝殿
⑧赤沼供養塔
⑨街道杉跡
➉鎌倉街道案内板 鳩山中南側フェンス
➉鎌倉街道案内板 鳩山中南側フェンス
➉鎌倉街道案内板 鳩山中南側フェンス
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