いちばじんじゃ
市場神社のお参りの記録一覧
★鎌倉街道散策(坂戸市〜毛呂山町)2
【散策ルート】
西大家駅〜①国謂地祗神社〜②万葉遺跡大家が原歌碑〜③森戸橋〜④馬頭観音〜⑤市場神社〜⑥街道跡〜⑦延慶の板碑〜⑧崇徳寺跡〜⑨川角古墳群
馬頭観音の北側の道を入って、民家の集落の真ん中に市場神社が見えてきます。
⑤市場神社
市場神社は、毛呂山町市場にある神社です。創建年代等は不詳ながら、当地の旧名主家山崎家が鎌倉から三島様の神体を携えて当地に移住し、三島社を祀ったと伝えられます。江戸期には市場村の鎮守として祀られ、明治40年に地内の村社大利神社、山王大神社、山神社、愛宕神社、森戸字台の村社稲荷神社、森戸字市場の神明神社を合祀、市場神社と改称しています。祭日として勧学祭3月3日(大利天神社)、天王様7月28日、秋祭り10月28日に行われています。祭神は事代主神・大山祇神です。
市場神社から川越越生線へ出て越生方面へ進み、2つ目の小橋の手前を右手に、車1台がやっと通れる道を入ると鎌倉街道に入ります。その先に鎌倉街道遺跡が見えてきます。
⑥街道跡
【鎌倉街道遺跡標柱】
『説明書きには「ここの前を南北に通るのが鎌倉街道上道の旧道である。うしろの塚は昔大薬寺があった所。この標識に向って左手に進めば、苦林と川角との大字境に沿い、越辺川を渡り、鳩山町に入り、笛吹峠に出る。この辺の台地を削り込んだ跡が旧道西側に残っているが、東側は崩されてしまって残っていない。この街道が作られた当時は越辺川の水は、今より北の今宿のすぐ下を流れていたらしく、向こう岸は急な崖になっている。ごみ焼却場は中洲」と書かれていました』
【鎌倉街道上道看板】
大類グラウンド西側傍の鎌倉街道入口に掲示されています。
県道坂戸毛呂山線に入りコンビニを北へ進むと直ぐに、道の両側に森林が現れその奥に延慶の板碑と古墳群が見えてきました。
⑦延慶の板碑
崇徳寺跡に立っていた「延慶の板碑」は、昭和37年(1962)に保存上の理由により現在の場所へ移転されました。延慶3年(1310)と刻まれた塔婆は、高さ3メートルもある大型板碑です。埼玉県内には、延慶の板碑をはじめ、20,000基を超える数の板碑があるといわれています。
延慶の板碑には、「沙弥行真」と「朝妻氏女」の2人の名が刻まれています。
移転の際、延慶の板碑の下から古瀬戸の蔵骨器が出土しました。蔵骨器は、延慶の板碑とともに埼玉県指定文化財に指定され、毛呂山町歴史民俗資料館に展示されています。
毛呂山町を通る鎌倉街道は文化庁選定の「歴史の道百選」の一つであり、崇徳寺跡は毛呂山町指定文化財となっています。
⑧崇徳寺跡
街道沿いの川角古墳群の中に崇徳寺跡があります。
江戸時代後期、幕府によって編纂された『新編武蔵風土記稿』川角村の条に、崇徳寺が苦林野合戦の戦火で焼失してしまったと記されています。
鎌倉街道苦林宿とされる堂山下遺跡の南西に町指定史跡崇徳寺跡があります。
建物跡や焼失の形跡は発見されていませんが、板碑をともなう中世墓などが確認され、火葬した骨を納めた蔵骨器や地面に立った状態で整然と並ぶ板碑が発見されました。かつて、崇徳寺跡に立っていた延慶3年銘の板碑と蔵骨器2口は、埼玉県指定文化財となっています。
毛呂山町の越辺川流域には上流から西戸古墳群、川角古墳群、大類古墳群の3つの古墳群があります。
⑨川角古墳群
川角古墳群には38基の古墳が分布しており、円墳のみで構成され、直径10mから15mほどの古墳が目立ちます。 埴輪の出土もなく、大類古墳群からやや遅れて7世紀初頭から中葉を中心に古墳が築造されたのではないかと考えられているそうです。
⑤市場神社 鳥居
⑤市場神社 社号標柱
⑤市場神社 二の鳥居
⑤市場神社 石灯
⑤市場神社 石灯
⑤市場神社 社殿
⑤市場神社 境内社
⑥鎌倉街道遺跡
⑥鎌倉街道遺跡
⑥鎌倉街道遺跡 標柱
⑥鎌倉街道遺跡 標柱
⑥鎌倉街道 途中看板
⑥鎌倉街道遺跡
⑥鎌倉街道入口 看板
⑦延慶の板碑 標柱
⑦延慶の板碑
⑦延慶の板碑
⑦延慶の板碑 説明板
⑧崇徳寺跡 標柱
⑨川角古墳群
⑨川角古墳群
⑨川角古墳群
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