とくりんじ|曹洞宗|福聚山
徳林寺のお参りの記録一覧
武蔵野三十三観音霊場第17番札所になります。
前回、不動堂と観音堂の場所がわからずお参りできなかったので、改めてお参りに行きました。墓地のさらに上にあったのですね。大きな観音様もいらっしゃるのになんで気がつかなかったんだろう😅
堂内では御本尊を拝見できました。金色の千体観音にも魅入ってしまいました✨
池には亀がたくさんいました🐢みんな水から上がっていたけど暑くないのかな💦
【綿貫家の墓所】
綿貫家は上州(群馬県)綿貫村から当地に移住したと伝わっています。豪商として名が高く、家は徳林寺門前にあったとされるが、経済活動の中心は江戸神田川の支店だったといいます。どの墓石にも「大乗妙典千部供養」の文字が刻まれていて仏教を深く信仰していたことがわかります。大乗妙典とは法華経のこと。千部供養とは1000回読んで供養したという意味です。
手水舎
【福徳院不動尊】
綿貫家二代目の孫兵衛が不動明王を深く信仰し、しばしば成田山新勝寺へ参詣していました。その折に本尊の分身を熱望し、願いを聞き入れた新勝寺は一日大護摩供を修し、その浄灰で不動明王像を謹製し、開眼のうえ授与したといいます。以後、綿貫家代々の主本尊とされたそうですが、明治8年徳林寺17世の代に寄贈されました。
【観音堂】
新田義貞ゆかりの観音様になります。
新田義貞が鎌倉を攻めるにあたって数日当寺に逗留したおり、当地の小沢氏が所持していた唐仏聖観音を見てこれを守護仏にするといったという伝えがあります。
大きな観音様
雲が鳳凰に見える…気がする
市内を流れる、入間川の右岸に位置する曹洞宗の寺院・徳林寺は、旧鎌倉街道沿いにある、歴史と伝説の豊富な古刹こさつです。 元弘3年(1333)、上州の地で旗揚げした新田義貞が、鎌倉攻めの合戦のおり、この地(入間川)に本陣を置き、その守護仏として、聖観世音しょうかんぜおんを安置したことから始まったもので、後に文和ぶんな2年(1353)から9年の間、鎌倉公方の足利基氏が、滞陣した入間川御所が置かれたのが徳林寺であったといわれています。 同寺には市指定文化財として、釈迦が亡くなり、弟子や諸王らが嘆き悲しむ姿を描いた「絹本着色釈迦涅槃図けんぽんちゃくしょくしゃかねはんず」と、生涯の主要な出来事を絵にした「絹本着色釈迦八相図けんぽんちゃくしょくしゃかはっそうず」のすばらしい仏画が所蔵されています。 また、地蔵堂には「延命地蔵尊」が安置されています。耳地蔵として信仰が厚く、入間川で穴あき石を拾い、糸をとおして願掛けをしたところ、耳が聞こえるようになったと伝えられています。 新名所としては、大観音石仏が建立され、武蔵野観音第十七番札所でもあります。 (広報さやま平成20年9月10日号より)
想像以上に大きな寺院でした。
本堂も大きく、鐘楼に薬師堂。可愛いお地蔵さまと見所が多いお寺でした。
さてさて、バス停から確かに大きく見えたはずの白衣観音がお寺にない!!
ということで、住職様にお聴きすると、一旦外に出て、少し歩いた所に観音堂が別にあり、そちらなんだとな。
だいぶ歩いて到着した観音堂。石段を上がりました。
穏やかな表情で座しておられる白衣観音さま。
こうやって、茶処狭山を見守っているのだろう。と思うのでした。
対応してくださった住職様が庭でニッコリと微笑むお地蔵様のような穏やかなお方で、来てよかった!と思うのだった。
若葉茶や 狭山見守る 菩薩様
福聚山徳林寺は創建年代は不明ですが、1333年に新田義貞が鎌倉を攻めるにあたり、この地に本陣を置き守護仏だった聖観世音菩薩坐像を地頭・小澤氏に託し、堂塔安置したのが起源で、後に小澤主税が開基となって当寺が建立されたと伝わっています。
また、後に文和2年(1353)から9年間、鎌倉公方の足利基氏が滞陣した入間川御所が置かれたともいわれています。
墓地には、第13代横綱・鬼面山谷五郎(1826-1871)の墓碑があります。
お地蔵様がかわいい😊
山門
交通安全地蔵尊
六地蔵
本堂
お小僧さん
子育て地蔵尊
鐘楼
徳林寺は、武蔵野三十三観音霊場第17番札所になります。
薬師堂
薬師堂内。上にも仏様がいっぱい✨
納経所
墓地の中央に涅槃仏が。けっこう大きかったです。
狭山市駅徒歩5分にある徳林寺さんにお参りしました😊武蔵野三十三観音霊場17番です🙏霊場本尊は聖観世音菩薩坐像で、新田義貞の守護仏とされます✨本堂のある徳林寺さんからは一旦通りに出て徒歩3〜4分の福徳不動尊にあります。御朱印は徳林寺本堂の方で。とても美しい観音様、歴史あるお寺さんでした😊
宗派 曹洞宗
山号 福聚山
本尊 釈迦如来
霊場の聖観世音菩薩坐像✨
観音大石仏と観音堂✨
後ろ姿✨
観音堂✨
観音堂の横にある福徳院不動尊✨
福徳院は、綿貫家の守り本尊である不動明王を安置した寺院✨
徳林寺の山門✨
六地蔵像✨
本堂✨
地蔵堂✨
子育て地蔵尊✨
あなあき石✨
鐘楼✨
薬師堂✨
全国の名高いトンネル工事の奇石「貫通石」コレクション✨
納経所✨
古いものも新しいものも境内には石仏がたくさんありました😊
山門右手から入って境内に駐車出来ます。
少し離れたところに大きな観音様やお不動様がいらっしゃるので、あわせてお参りされると良いと思います。
(御朱印第409号)
直書き。山号(福聚山)から福聚閣と書いてあるようです。
山門
本堂
少し離れたところにある観音様(左)とお不動様(右)
鎌倉街道散策(狭山)2
【散策ルート】
狭山市駅〜①祇園白山神社〜②徳林寺〜③狭山八幡神社〜④慈眼寺〜⑤入間川諏訪神社〜⑥清水八幡神社〜⑦八丁渡し〜⑧影隠地蔵〜⑨信濃坂碑〜⑩今宿遺跡〜狭山市駅
駅の西口へ向う。駅前を市民会館方面へ、図書館の駐車場を過ぎると大きな観音さまが坐している。
②徳林寺
狭山市入間川にある曹洞宗の寺院で、福聚山と号す。鎌倉幕府倒幕の合戦の際(1333年)に新田義貞が本陣を置き、当所の地頭小澤某が所持する唐像の聖観音を閲覧して当寺の本尊とした。その後小澤主税法謚白翁常清が開基となり、僧存松(天文2年1533年)が開山した。
また、鎌倉公方足利基氏が滞陣した「入間川御所」の地でもある。
祇園白山神社をちょっとだけ南下して踏切を渡る
②徳林寺 参道入口
②徳林寺 交通安全地蔵
②徳林寺 山門
②徳林寺 六地蔵(山門隣)
②徳林寺 山門入口
②徳林寺 地蔵堂
②徳林寺 本堂
②徳林寺 本堂
②徳林寺 小僧さんと歌碑
②徳林寺 板碑
②徳林寺 鐘楼
②徳林寺 トンネル貫通石
全国のトンネル工事で出た貫通石を展示
②徳林寺 トンネル貫通石説明文
②徳林寺 聖観音菩薩坐像
突然現れる観音菩薩。
②徳林寺 観音堂と不動堂参道石段
②徳林寺 不動堂
②徳林寺 不動堂拝殿
②徳林寺 聖観音菩薩坐像
不動堂と観音堂の隙間から見える。
②徳林寺 観音堂
②徳林寺 不動堂と観音堂
武蔵野三十三観音霊場十七番
宗派は曹洞宗、ご本尊様は釈迦如来様
1333年に新田義貞が鎌倉攻めの際にここに本陣を置き
聖観音様を置かれ、地頭小沢主悦が開基となり建立されたそうで
それから200年、一樹和尚が開山されたと伝えられています。
西武新宿線狭山市駅から徒歩5分弱のところに
12メートルの巨大観音様と、観音堂、福徳院不動尊が居られ、
石段を下りて道路沿いにぐるっとまわったところに
山門があり、本堂と地蔵堂が居られます。
とにかく観音様が凄い迫力です。
観音堂は朱塗りが鮮やか、本堂は質実剛健といった雰囲気です。
福徳不動尊です。
観音堂と観音様です。
凄い迫力ですね。
観音堂の正面に謎のウッドデッキ。
観音堂の手前にお香立て。龍の彫刻があります。
手水舎です。お地蔵さんがちょこんと居られます。
石段を下りて本堂のほうに向かいます。
道路沿いのこの看板から左に入ります。
看板のところにはお地蔵さんたちが見守って下さってます。
裏門かな?の前には井戸が。
山門の右手に六地蔵さんが居られます。
山門左手には交通安全のお地蔵さん。
山門です。
足元にちんまりと可愛らしい。
地蔵堂です。
福聚山徳林寺。
創建年代は不詳。曹洞宗の寺院で御本尊は釈迦如来です。
立派な山門と本堂、大観音石仏など見どころがたくさんあります。
狭山市駅西口から徒歩で約5分。駐車場もあります。
山門
交通安全地蔵尊
六地蔵
本堂
地蔵堂
お小僧さん
薬師堂
鐘楼
涅槃像
池には亀がたくさん
不動堂(右)
観音堂
大観音石仏
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