とくりんじ
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徳林寺ではいただけません
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徳林寺のお参りの記録(2回目)
投稿日:2024年08月12日(月)
参拝:2024年8月吉日
武蔵野三十三観音霊場第17番札所になります。
前回、不動堂と観音堂の場所がわからずお参りできなかったので、改めてお参りに行きました。墓地のさらに上にあったのですね。大きな観音様もいらっしゃるのになんで気がつかなかったんだろう😅
堂内では御本尊を拝見できました。金色の千体観音にも魅入ってしまいました✨
前回、不動堂と観音堂の場所がわからずお参りできなかったので、改めてお参りに行きました。墓地のさらに上にあったのですね。大きな観音様もいらっしゃるのになんで気がつかなかったんだろう😅
堂内では御本尊を拝見できました。金色の千体観音にも魅入ってしまいました✨
池には亀がたくさんいました🐢みんな水から上がっていたけど暑くないのかな💦
【綿貫家の墓所】
綿貫家は上州(群馬県)綿貫村から当地に移住したと伝わっています。豪商として名が高く、家は徳林寺門前にあったとされるが、経済活動の中心は江戸神田川の支店だったといいます。どの墓石にも「大乗妙典千部供養」の文字が刻まれていて仏教を深く信仰していたことがわかります。大乗妙典とは法華経のこと。千部供養とは1000回読んで供養したという意味です。
綿貫家は上州(群馬県)綿貫村から当地に移住したと伝わっています。豪商として名が高く、家は徳林寺門前にあったとされるが、経済活動の中心は江戸神田川の支店だったといいます。どの墓石にも「大乗妙典千部供養」の文字が刻まれていて仏教を深く信仰していたことがわかります。大乗妙典とは法華経のこと。千部供養とは1000回読んで供養したという意味です。
手水舎
【福徳院不動尊】
綿貫家二代目の孫兵衛が不動明王を深く信仰し、しばしば成田山新勝寺へ参詣していました。その折に本尊の分身を熱望し、願いを聞き入れた新勝寺は一日大護摩供を修し、その浄灰で不動明王像を謹製し、開眼のうえ授与したといいます。以後、綿貫家代々の主本尊とされたそうですが、明治8年徳林寺17世の代に寄贈されました。
綿貫家二代目の孫兵衛が不動明王を深く信仰し、しばしば成田山新勝寺へ参詣していました。その折に本尊の分身を熱望し、願いを聞き入れた新勝寺は一日大護摩供を修し、その浄灰で不動明王像を謹製し、開眼のうえ授与したといいます。以後、綿貫家代々の主本尊とされたそうですが、明治8年徳林寺17世の代に寄贈されました。
【観音堂】
新田義貞ゆかりの観音様になります。
新田義貞が鎌倉を攻めるにあたって数日当寺に逗留したおり、当地の小沢氏が所持していた唐仏聖観音を見てこれを守護仏にするといったという伝えがあります。
新田義貞ゆかりの観音様になります。
新田義貞が鎌倉を攻めるにあたって数日当寺に逗留したおり、当地の小沢氏が所持していた唐仏聖観音を見てこれを守護仏にするといったという伝えがあります。
大きな観音様
雲が鳳凰に見える…気がする
すてき
投稿者のプロフィール
ひなぎく490投稿
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