かげかくしじぞう
影隠地蔵のお参りの記録一覧
![ひなぎく](https://minimized.hotokami.jp/qgluFa4Y_7A04t8n6aVl_ubL_MqmQ8X8kf4MRXU9liY/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20230917-151401_c2evMvFQat.jpg@webp)
清水八幡宮から新富士見橋で入間川を渡り1km北へ行った奥州道交差点の右側に位置します。
鎌倉を逃れて当地に至った木曽義高が、頼朝の放った追手から難を避けるため一時的に地蔵の背後に影を隠したと伝わっているため「影隠地蔵」と呼ばれています。現在は石の地蔵尊ですが、かつては高さ2尺(60cm)余りの木像の地蔵で堂の中に安置されていたといいます。
木像から石の地蔵に変わった理由ははっきりしていませんが、近世になりわけあって正覚院の境内に移り、明治初年の廃仏毀釈により正覚院が廃寺となった時に処分されてしまったといわれています。
広瀬の住民は若くしてこの世を去った義高にことのほか思いを寄せ、今なお供養がたえません。
木曽義高が隠れたお地蔵さん「影隠地蔵」
狭山中央通り沿いにある市営住宅の端、奥州道交差点の小さな公園のようなスペースにある。
駐車場なしだが、お地蔵さん西側の坂道に停めるスペースがある。
写真でわかるような赤い頭巾を被ったお地蔵さんがお一人。
石で囲われているが簡素で、屋根もちゃっちい。
それでも横に飾られているお花は最近の様子なので誰かがお参りされているのは伺える。
地蔵やや手前に由緒の看板あり。
木曽義高は、木曽義仲の嫡男で頼朝の娘婿。
頼朝の追手から逃れるためこの地に辿り着き、追手を避けるために地蔵の影に隠れて難を逃れたとされる。が、結局入間川で捉えられ討死する。享年12才。
165cmの私と並ぶと胸ぐらいの高さのお地蔵さん。台座があるので正確な高さはわからないけどかなり細身じゃないと隠れるのは難しそうだ。っといっても元は木造で明治期に石造に変わってる。
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