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瑞泉院跡ではいただけません
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瑞泉院跡のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年05月05日(日)
参拝:2024年5月吉日
正式名、金龍山木蓮寺瑞泉院といい曹洞宗の寺院でした。金子氏の菩提寺で、全国の金子姓の発祥の地になります。
現在は廃寺になってしまい本堂等もなく、寺院の痕跡がわかるのは門柱くらいで、あとは巨大な霊園となっています。
そんな中向かったのは、金子氏一族のお墓です。
金子氏は武蔵七党のひとつ村山党(平氏)の武士で、村山頼家の三男・家範が入間郡金子郷を本領とし、金子氏を称しました。家範の子、十郎家忠は数々の戦に参戦し武功を立てました。
この瑞泉院は家忠の開基と伝わっていて、境内に6基の宝篋印塔があり、金子氏一族の供養塔とされています。
この地に徳川の支配が及んだ頃に、本貫地を離れることになった金子氏一族の先祖供養のために造立されたものと考えられているそうです。
開基当初は、家忠の妻の院号から「木蓮寺」と称していましたが、家忠死去後「瑞泉院」に改めたそうで、現在木蓮寺は地名として残っています。
御堂も館もなくなってしまいましたが、入間を代表する人物の1人なので、せめてこのお墓だけは大切に残していってほしいと願ってしまいます。
現在は廃寺になってしまい本堂等もなく、寺院の痕跡がわかるのは門柱くらいで、あとは巨大な霊園となっています。
そんな中向かったのは、金子氏一族のお墓です。
金子氏は武蔵七党のひとつ村山党(平氏)の武士で、村山頼家の三男・家範が入間郡金子郷を本領とし、金子氏を称しました。家範の子、十郎家忠は数々の戦に参戦し武功を立てました。
この瑞泉院は家忠の開基と伝わっていて、境内に6基の宝篋印塔があり、金子氏一族の供養塔とされています。
この地に徳川の支配が及んだ頃に、本貫地を離れることになった金子氏一族の先祖供養のために造立されたものと考えられているそうです。
開基当初は、家忠の妻の院号から「木蓮寺」と称していましたが、家忠死去後「瑞泉院」に改めたそうで、現在木蓮寺は地名として残っています。
御堂も館もなくなってしまいましたが、入間を代表する人物の1人なので、せめてこのお墓だけは大切に残していってほしいと願ってしまいます。
すてき
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ひなぎく494投稿
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