ほうりんじ|曹洞宗|太平山
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芳林寺の編集履歴
2022年01月23日 16時42分
ご由緒
芳林寺はかつて比企郡松山にあり地蔵寺と号していたといい、太田道灌が文明18年(1486)上杉定正の館で暗殺された際には道灌の遺骨や遺髪を越生町の龍穏寺と当寺に納められたといいます。
永正17年(1520)八月火災に罹ったため、太田大和守資高が自分の居城であった岩槻へ当寺を移転、太田資朝の母(陽光院殿芳林妙春大姉)が永禄10年(1567)逝去した際に、芳林寺と寺号を改めたといいます。
境内には市指定文化財の「太田氏資宝筐印塔」がある他、岩槻藩初代藩主高力清長の子、正長の宝筐印塔や太田道灌騎馬像などがあります。
編集前:芳林寺はかつて比企郡松山にあり地蔵寺と号していたといい、太田道灌が文明18年(1486)上杉定正の館で暗殺された際には道灌の遺骨や遺髪を越生町の龍穏寺と当寺に納められたといいます。
永正17年(1520)八月火災に罹ったため、太田大和守資高が自分の居城であった岩槻へ当寺を移転、太田資朝の母(陽光院殿芳林妙春大姉)が永禄10年(1567)逝去した際に、芳林寺と寺号を改めたといいます。
ご祭神/ご本尊
釈迦如来
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