ちちぶいまみやじんじゃ
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秩父今宮神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年03月16日(火)
参拝:2021年3月吉日
秩父今宮神社は、埼玉県秩父市にある神社。旧社格は村社。「八大龍王宮」とも称される。
社伝によると、役行者の役小角が、伊弉諾・伊弉冉両大神が祀られていたところに八大龍王を合祀して八大社としたのが始まり。その後、大日如来習合、観音堂・弁天堂が創建され、神仏習合の寺院として発展。安土桃山時代の1535年に疫病が流行し、京都の今宮神社から須佐之男命を勧請して今宮神社を創建。この一山を総称して聖護院直末の「長岳山今宮坊」と称した。江戸期には幕府から朱印地を下賜された。明治期に神仏分離令によって今宮神社と今宮坊(秩父三十四ん観音霊場14番)に分離された。
当社は、秩父鉄道・秩父駅の南西1kmの住宅街の中にある。境内は広くも狭くもないが、入口の神池から始まって、社殿、八大龍王の大木、摂末社、観音像と、見るものがたくさんあって面白い。社殿脇に社務所があって、神職の方が常駐していて御朱印・授与品を拝受できる。
参拝時は平日の午後一、秩父観光と思しき女子大生グループや家族連れ、地元民風オジサンなど、ぱらぱらと参拝に来ていた。
社伝によると、役行者の役小角が、伊弉諾・伊弉冉両大神が祀られていたところに八大龍王を合祀して八大社としたのが始まり。その後、大日如来習合、観音堂・弁天堂が創建され、神仏習合の寺院として発展。安土桃山時代の1535年に疫病が流行し、京都の今宮神社から須佐之男命を勧請して今宮神社を創建。この一山を総称して聖護院直末の「長岳山今宮坊」と称した。江戸期には幕府から朱印地を下賜された。明治期に神仏分離令によって今宮神社と今宮坊(秩父三十四ん観音霊場14番)に分離された。
当社は、秩父鉄道・秩父駅の南西1kmの住宅街の中にある。境内は広くも狭くもないが、入口の神池から始まって、社殿、八大龍王の大木、摂末社、観音像と、見るものがたくさんあって面白い。社殿脇に社務所があって、神職の方が常駐していて御朱印・授与品を拝受できる。
参拝時は平日の午後一、秩父観光と思しき女子大生グループや家族連れ、地元民風オジサンなど、ぱらぱらと参拝に来ていた。
社号標。
境内に入ってすぐにある古木に抱かれた<龍上観音・龍神観音>。左右に<神池>、左奥に<神橋>。
神橋を渡ってすぐに目に飛び込んでくる<龍神木>と呼ばれる大ケヤキ。境内敷地のど真ん中にある。
筋骨隆々とした老兵のような、めちゃくちゃなインパクト。幹の中にはアオバズクが棲んでいるらしい。
<龍神木>の前にある<手水舎>。
社殿前の鳥居。
拝殿全景。
拝殿正面。
拝殿背後の本殿。めちゃくちゃ小さい。
拝殿左側にある<授与所>。
社殿に向かって左側(龍神木の左側)にある<天満宮>。小さな<撫で牛>完備。
社殿に向かって右側(龍神木の右側)にある<役尊神祠(行者堂)>。
役尊神祠の右隣にある、<馬頭観音>と<清龍の滝>。神仏習合の名残りで仏像が多い。
清龍の滝の右隣にある<細石(さざれいし)>。
神池そばの<弁天社>。
神池そばの<稲荷社>。
すてき
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惣一郎1269投稿
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