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秩父札所十一番 常楽寺の日常(85回目)埼玉県御花畑駅

【仏教の教え】「無常と常楽我浄」

投稿日:2024年09月20日(金)
【仏教の教え】「無常と常楽我浄」
こんにちは。
本日は前回の続きをお話していきます🙏

仏教の教えには「無常」と「常楽我浄」という
一見すると矛盾するような概念が存在します。
これらの教えを理解することで、
仏教がどのように我々の生き方に影響を与えるかがわかります。


《「無常」という教え》
「無常」とは、すべてのものが常に変化し続けるということ。
花が咲いてもいつかは枯れ、人生も始まりがあれば終わりがあります。
これは、物質的な世界だけでなく、私たちの感情や経験も同様です。

幸せな瞬間もあれば、悲しい瞬間もあります。
どんなに楽しい時も永遠には続かないし、
どんなに苦しい時も必ず終わりが来るのです。



《「常楽我浄」という教え》
一方で、「常楽我浄」は、仏教が教える理想的な状態を表しています。
もう一度簡単にお話しすると、
「常」は変わらないこと、「楽」は深い喜び、
「我」は真の自己、「浄」は清らかさを意味します。

この教えは、私たちが本来持っている
心の平和や満足感、純粋な状態を示しています。


《まとめ》
一見すると、変化し続ける無常の世界と
変わらない常楽我浄の状態は矛盾するように思えます。
しかし、仏教の教えはこの矛盾を解消するための深い洞察を提供しています。


「無常」を理解することは、執着を手放すことを意味します。
私たちが何かに執着すると、その変化に対して苦しみを感じます。
しかし、すべてが無常であると理解すれば、
その変化を受け入れやすくなります。
この受け入れが、心の平和につながるのです。

外の世界がどんなに変わろうとも、
私たちの内側には常に変わらない安らぎや喜びが存在します。
これは、外部の出来事に左右されない心の状態を目指すことを意味します。


例えば、嵐の中でも穏やかな湖のような心を持つことが「常楽我浄」の状態です。
嵐(無常)は常に起こりますが、湖の底(心の平和)は変わりません。

このように、無常の中にあっても変わらない
心の平和を見つけることができるのです。
要するに、無常の教えを理解し、
受け入れることが「常楽我浄」に至る道です。


矛盾しているように見える「無常」と「常楽我浄」は、
実はお互いを補完し合い、
私たちにより豊かな生き方を示してくれます。
変わり続ける世界の中で、変わらない
安らぎを見つけることが仏教の目指すところなのです。

仏教の教えを少し取り入れて、毎日をハッピーに過ごしましょう!

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秩父札所十一番 常楽寺(埼玉県)

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