ちりくはちまんぐう
千栗八幡宮佐賀県 肥前旭駅
社務所:09:00〜17:00
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楽しみ方
千栗八幡宮にお参り致しました。
正面の駐車場に停めて鳥居から階段を見たらとても長かったので急遽、裏参道駐車場へ。
狭い路地裏を進み駐車場へ。境内から階段を見下ろすととても長く上れる自身が有りませんでした。
本殿でお参りし社務所にて御朱印を書き入れて頂きました。
本殿
鳥居
階段

全国一の宮巡り佐賀編①
佐賀御朱印さんぽ鳥栖編①千栗八幡宮⛩️へ参拝🙏階段登ったら拝殿見えましたかっこいい社殿です😊16時位でしたが参拝者が結構居ました人気な神社⛩️ですね😊
社号標
鳥居⛩️
由来
鳥居⛩️
手水舎
拝殿
拝殿
本殿
一の宮御朱印500円
2500円御朱印有り
「鎮西要略」によれば「神亀元年(724年)肥前国養父郡の郡司壬生春成が八幡大神の御神託を蒙(こうむ)って千根(ちこん)の栗が生えている地に創祀した」と伝えられています。
なぜ「千栗」と書いて「ちりく」と読むかというと、壬生春成が千栗山に猟をしに行くと、八幡大菩薩の使いである一羽の白い鳩が飛んできて弓の先に止まりました。その晩、白髪の翁が丸い盆に千個の栗を盛って枕元に授け、「この地に八幡神を祀れ」という夢を見ました。翌日、再び千栗山に猟に行くと、何と逆さに植わった千個の栗から栗の木が一夜のうちに生い茂っていたことから「くり」を逆さにして、「ちりく」というようになったとの言い伝えがあります。
承平年間(931年〜938年)に宇佐八幡宮の別宮になり、以来、五所別宮(大分八幡・千栗八幡・藤崎八幡・新田八幡・鹿児島神宮)の一と称せられ朝廷からも厚く崇敬を受けていました。
慶長14年(1609)には後陽成天皇より「肥前国総廟一宮鎮守千栗八幡大菩薩」の勅頼を賜りました。
中世以降は肥前国一の宮と呼ばれています
| 住所 | 佐賀県三養基郡みやき町白壁2415 |
|---|---|
| 行き方 | 公共交通機関
自家用車
|
| 名称 | 千栗八幡宮 |
|---|---|
| 読み方 | ちりくはちまんぐう |
| 参拝時間 | 社務所:09:00〜17:00 |
| 参拝にかかる時間 | 15分 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | あり |
| 御朱印 | あり 右下に千栗八幡宮と書かれ、右上に肥前一宮の印、真ん中に千栗八幡宮の印、左下に千栗山の印が押されています。
|
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり 本社の御朱印 |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | あり |
| ホームページ | https://chirikuhachiman.sakura.ne.jp/ |
| SNS |
| 日本全国の一宮まとめ |
|---|
| ご祭神 | 《主祭神》 応神天皇 仲哀天皇 神功皇后 《配祀神》 難波皇子 住吉明神 宇治皇子 武内宿禰 |
|---|---|
| 創建時代 | 神亀元年(724年) |
| 創始者 | 壬生春成 |
| 本殿 | 入母屋造(権現造) |
| ご由緒 | 「鎮西要略」によれば「神亀元年(724年)肥前国養父郡の郡司壬生春成が八幡大神の御神託を蒙(こうむ)って千根(ちこん)の栗が生えている地に創祀した」と伝えられています。
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| 体験 | 祈祷おみくじお宮参り絵馬七五三御朱印お守り祭り札所・七福神巡り一の宮伝説 |
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