くしだぐう
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櫛田宮ではいただけません
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櫛田宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年04月06日(木)
参拝:2023年2月吉日
【肥前國 古社巡り】
櫛田宮(くしだぐう)は、佐賀県神埼市神埼町神崎にある神社。旧社格は県社。祭神は櫛田三神(須佐之男命、櫛稲田姫命、日本武命)。なお、博多祇園山笠や博多おくんちなどの祭事で知られる櫛田神社は当社の分社。
社伝によると、4世紀前半に景行天皇が当地に巡行した際に、不幸が続き里人が苦しんでいると聞き、当社を建てて神を祀り鎮めたのが始まり。その後厄災がなくなったことから当地を「神幸(かむさき)」と称し、現地名の「神埼(かんざき)」となったと伝わる。鎌倉時代の元寇の際には、櫛田宮の霊験を福岡の櫛田神社に移して祈祷したところ、その霊験で元軍が撤退したと伝わる。長きにわたり神崎一帯の総鎮守として上下から崇敬され、江戸時代には長崎街道が整備され、当社を中心に神崎宿が形成された。
当社は、JR長崎本線・神崎駅の南西500mあまりの神埼市の中心地にある。境内北側を通る国道34号線の北側は神埼市役所がある。また、境内南側には長崎街道が通っており、古くから交通の要衝(宿場町の中心)であったことが伺える。境内は広いが、境内社、弁天池、古木、石碑などがたくさんあって見どころ満載。
今回は、佐賀県の旧県社、博多櫛田神社の勧請元神社ということで参拝することに。参拝時は休日の午後で、地元の人も観光がてら家族連れで見て廻っているようで、大勢の参拝者が訪れていた。
境内南端東側入口にある<一の鳥居>と<社号標>。鳥居の扁額は順徳天皇勅額(石製)で「櫛山櫛田宮」と彫られている。社号標は明治29年(1896年)のもので、「櫛田之宮」と彫られている。
ちょうどこの日は第137回かんざき櫛田の市「神幸節分祭」が開催されていて、<おかめの門>が設置されている。
参道進むとつづいて<二の鳥居>。典型的な「肥前鳥居」で県重文になっている。
参道左側の巨大な<琴の楠>。根元が持ち上がり空洞になっているが、上部の枝葉は生き生きとしている。
参道右側には大きな<琴の池>が広がり、その中央の小島には<弁財天社>がある。
参道進んで神橋(たいこ橋)を渡ると<神門>がある。
神門をくぐったところから<拝殿>全景。
参道左側の<手水舎>。銅板葺屋根の正統派。
拝殿前左側の<狛犬>。かなり新しいみたい。
拝殿前右側の<狛犬>。
<拝殿>正面。横に長く屋根が高い重厚感のある建物。
<拝殿>内部。江戸時代末期の「御神幸祭絵馬」(県重文)などが飾られている。
拝殿後ろの<本殿>。大きな拝殿と比べるとコンパクトかな。
手水舎の裏手にある<社務所>。御朱印はこちら。
社務所の右隣(北側)にある<櫛田宮・神社史料館 兼 みこし庫>。
史料館の北側にある<印鑰(いんやく)神社>。「財宝福徳の神」と書かれている。
印鑰神社の近くにある<稲荷神社>の鳥居。ここから社殿まで参道と鳥居が続く。
社殿近くにある<鳥居>。この先参道が二手に分かれ、別々の稲荷神社に辿り着く。
まずまっすぐ進むと、こちらは<櫛森稲荷社>。「商売の神」と書かれている。
鳥居をくぐって右手に曲がると<櫛丸稲荷社>。「食物の神」と書かれている。
本殿近くまで戻って裏参道脇にある<天満宮>。
天満宮近くにある<櫛山旧跡(酒カメ)>。
拝殿の南側に建つ<能舞台>。
能舞台の東方にある<相撲土俵>。
相撲土俵の北側に建つ<祇園社>。まだ建てて間もない感じ。
祇園社の左隣(西側)に建つ<庚申塚>。
最後に、境内東側から境内全景。広々としていて見どころ満載で、神社好きも普通の人もしっかり楽しめる。 (^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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