佐賀縣護國神社のお参りの記録一覧
参拝記念⛩️✨️
佐賀縣護國神社
佐賀県佐賀市川原町に鎮座する佐賀縣護國神社へ参拝に上がらせて頂きました🙏
佐賀県の英霊の皆様に感謝の報告です。
境内の前を流れる小川も澄み渡ってとても清々しい空気が流れていました。
御朱印 書入れ
社号標
鳥居
狛犬
佐賀県神社庁側の鳥居
駐車場はこちらから入って、神社庁前または護國神社の社務所前に停めれます
左側(神社庁側)の手水舎
拝殿と本殿
左側から
右側(社務所側)の手水舎
拝殿
拝殿内
拝殿と本殿
右側から
龍造寺八幡宮より車で3分の所に鎮座されてる佐賀縣護国神社。母親方の先祖が佐賀なので、関わりが有るかもしれません。
戦争が終わります様に。
それだけをお願いして来ました。
ご縁を頂き御朱印頂きましたが、、。
12時50分頃に社務所へ行き、誰も居なかったので、インターホンを鳴らすと、禰宜さん?めっちゃ不機嫌にあくびをしながら襖を開けて入ってきて、凄い勢いで扉を開けて睨まれ、御朱印をお願いすると、はい!次のページでいいですか?
色々な動作音がデカい。ガタン。
朱肉も『ダンダンッ』って、そんなに激しくすると滲むよ。って思ったら案の定滲んでました。やべー思ったのかティッシュで抑えて持ってきました。
昼寝中を起こしてしまい、すいませんでした。
【神本】
【全国護国神社巡り】
佐賀県護国神社(さがけん・ごこく~)は、佐賀県佐賀市川原町にある神社。旧内務大臣指定護国神社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は明治維新以降の国難に殉じた佐賀県関係の戦没者および第二次大戦後の殉職自衛官あわせて約3万5千柱。
明治時代の1870年、旧佐賀藩主・鍋島直大が戊辰戦争で戦死した藩士78柱を祀ったことに始まる。その後1874年に勃発した佐賀の乱の戦死者などを合祀した。当初「招魂場」と称していたが、1875年に官祭招魂社となり、1939年に内務大臣指定の「佐賀県護国神社」と改称した。太平洋戦争後は一時「肥前神社」と称していたが、日本の主権回復後、1952年に旧称に復した。
当社は、JR長崎本線・佐賀駅の南南西1kmあまりの平地、市街地の中にある。境内西側には幹線道路の国道264号線が通っているが、少し入ったところにあるため閑静な環境にある。 多布施川に架かる神橋を渡って入る境内は、護国神社らしく広々としている。市街地にあるためややコンパクト。境内は草木が少なく明るいが、樹木は幹が太い巨木が多く、古社のような良い雰囲気を出している。
今回は、佐賀県の指定護国神社、別表神社であるため参拝することに。参拝時は平日の午後で、雨降りではあったが、自分以外にもぱらぱらと参拝者が訪れていた。
境内東端入口の<神橋>と<鳥居>。神橋は佐賀城址のお堀に繋がる多布施川に掛かっている。
神橋を渡ったところからの眺め。
神橋を渡って右手にある<手水舎>。護国神社としてはコンパクト。
参道左側の<狛犬>。
参道右側の<狛犬>。
<拝殿>全景。
<拝殿>正面。
<拝殿>内部。一般の神社のような造り。
拝殿後ろの<本殿>。こちらも一般神社のような造り。護国神社で本殿が見えるのは珍しいかも。
本殿の右脇にある<戦没者顕彰碑>。
社殿の左手、境内南端にある<佐賀県傷痍軍人の碑>などの石碑類。
参道右手にある推定樹齢450年のクスノキの巨木と社殿全景。
境内東端、手水舎の近くにある石碑類。
境内東端、手水舎の北側にある石碑類。左から順に<鎮魂碑>、<母の像>、<軍恩忠魂碑>。
境内北東端にある、古そうな石橋。通行不可みたい。
境内北端にある<社務所>。御朱印はこちら。
社務所から見た境内全景。広々として清々しい。
社務所の隣にある<宝物殿>。
宝物殿前から見た<社殿>全景。
最後に、<社殿>全景。一般神社に近い社殿の造りで親しみやすい。(^▽^)/
全国護国神社巡り31社目に参拝した佐賀縣護國神社。
他の護国神社と比べると比較的小さめな印象。
この日はゴールデンウィークでしたが朝早かったため、他に参拝客もいなく、神聖で静かな雰囲気を独り占めできました。
9時前でしたが、快くご対応いただき御朱印をいただきました。
佐賀市内の街中にあるのでドライブの目的地には不向き。
駐車場は分かりにくいですが、敷地内にあり。
旅の記事はこちらに記載しています。
S660で日本本土最西端を目指す旅 Day2:【新門司港→神崎鼻公園→福岡市】東奔西走! | シャるんの獲得経験値 https://scharnbis.com/archives/2650
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