りゅうせんじ
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龍泉寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年04月18日(月)
参拝:2021年11月吉日
(河内飛鳥古寺11番)
かつて、この寺の境内にある池には悪龍が棲んでいたと伝えられていました。
龍泉寺は594年に蘇我馬子が勅命を受けて建立したとされますが、しばらくののち、悪龍の報復により境内の池と麓の水脈が枯れてしまったと伝えられています。
823年に空海がこの地を訪れたと伝えられ、祈祷によって雨水を得て、境内の池には水が湛えられ、この時池の中に3つの小島ができ、空海はこの島に小さな社を建て、聖天、弁才天、叱天を祀り、牛頭天王を鎮守としたといいます。
828年、淳和天皇により寺は再建され、勅願寺として龍泉寺医王院の寺号を賜った。東西両塔が建てられ、大小25の塔頭が立ち並ぶ大寺院だったとのことです。
南北朝時代になると、楠木正成の南北朝の争乱ではこの寺も巻き込まれ、仁王門を除き、多くの宝物とともに焼失してしまいました。その後再建され、江戸時代には地元白木藩主の寄進を受け度々の修理を経ましたが、往時のように戻せずにいます。
境内は静かで、ゆっくりお参りできました。が、庭園などは、文化的にも関わらず、荒れていて少し残念でした。
参道を進むと現れる仁王門は、府下最古ということで、感慨深かったです。
かつて、この寺の境内にある池には悪龍が棲んでいたと伝えられていました。
龍泉寺は594年に蘇我馬子が勅命を受けて建立したとされますが、しばらくののち、悪龍の報復により境内の池と麓の水脈が枯れてしまったと伝えられています。
823年に空海がこの地を訪れたと伝えられ、祈祷によって雨水を得て、境内の池には水が湛えられ、この時池の中に3つの小島ができ、空海はこの島に小さな社を建て、聖天、弁才天、叱天を祀り、牛頭天王を鎮守としたといいます。
828年、淳和天皇により寺は再建され、勅願寺として龍泉寺医王院の寺号を賜った。東西両塔が建てられ、大小25の塔頭が立ち並ぶ大寺院だったとのことです。
南北朝時代になると、楠木正成の南北朝の争乱ではこの寺も巻き込まれ、仁王門を除き、多くの宝物とともに焼失してしまいました。その後再建され、江戸時代には地元白木藩主の寄進を受け度々の修理を経ましたが、往時のように戻せずにいます。
境内は静かで、ゆっくりお参りできました。が、庭園などは、文化的にも関わらず、荒れていて少し残念でした。
参道を進むと現れる仁王門は、府下最古ということで、感慨深かったです。
御朱印(河内飛鳥古寺11番)
参道
仁王門
金剛力士像(阿形)
金剛力士像(吽形)
仁王門について
鐘楼
阿弥陀堂と尊性法親王墓所
尊性法親王墓所について
大日如来堂(本堂)
聖天堂
行者堂
縁起
龍泉寺庭園
龍泉寺庭園について
境内よりの眺め
すてき
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ますみん822投稿
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