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養楽寺ではいただけません
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養楽寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2017年09月03日(日)
参拝:2015年7月吉日
近鉄川西駅から石川側に向かう。甲田という古くて曲がりくねった住宅地の中にある「水郡邸」を見ていく。幕末当時、伊賀神戸の代官を務める家であった。天誅組が堺に上陸後、大阪狭山を経てこの屋敷に入り、軍議を行い一泊している。当時の当主・水郡善之祐は、息子の英太郎と周辺の村からの同士など数十名を率いて中山忠光と会見。かねてより蓄えてあった武器や食料などを天誅組の人たちに提供している。天誅組は彼ら河内勢の加入がなければ成立しなかった。もっと言えば、この富田林という地域が豊かであったからこそ挙兵が可能であった。
水郡家の菩提寺である養楽寺へ。邸から歩いてすぐのところにある。天誅組の人数が多いため、吉村寅太郎ら土佐藩勢は水郡邸ではなくこちらに宿泊したという。門が閉まっていたので住職に来意を告げ墓所へ案内していただいた。本堂にある鐘を天誅組は陣鐘として持って出陣したそうで、明治後に返還されたそうだ。水郡善之祐の墓と、隊士・森本伝兵衛の記念碑がある。
水郡家の菩提寺である養楽寺へ。邸から歩いてすぐのところにある。天誅組の人数が多いため、吉村寅太郎ら土佐藩勢は水郡邸ではなくこちらに宿泊したという。門が閉まっていたので住職に来意を告げ墓所へ案内していただいた。本堂にある鐘を天誅組は陣鐘として持って出陣したそうで、明治後に返還されたそうだ。水郡善之祐の墓と、隊士・森本伝兵衛の記念碑がある。
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