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誉田八幡宮ではいただけません
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こんだはちまんぐう

誉田八幡宮のお参りの記録(1回目)
大阪府古市駅

投稿日:2017年09月03日(日)
参拝:2015年1月吉日
「位は桃井、技は千葉、力は斎藤」と並び称され、幕末の江戸における三大道場のひとつとして鏡新明智流の士学館という場所があった。武市半平太が岡田以蔵ら自身の弟子を伴って入門し、特に武市は塾頭に任命されたことで知られる。
 桃井春蔵直正はこの頃の館主で、元は沼津藩の出である。幕末という時代の変わり目は、彼を江戸の剣術道場主で終わらせることはなく、やがて幕府の遊撃隊に加わり、徳川慶喜の上洛に警護役として伴う。玉造に臨時に開かれた講武所で幕府高弟を相手に剣術を指南する。ところが、 鳥羽・伏見の戦いについて反対したことから幕府軍幹部からにらまれ、弟子と共に南河内へ逃亡する。これが本日向かった古市という町で、行政上は羽曳野市になる。

桃井春蔵は、明治維新後、没するまでこの誉田八幡宮の祠官として務めている。また、境内には「誉田林古戦場跡」の碑もあり、古来から数々の合戦の舞台になったことを偲ばせてくれる。特に、大坂夏の陣の際に、豊臣方の武将であった薄田隼人正兼相がここに陣を敷き道明寺へ出撃し戦死している。墓は近くにある誉田史跡公園内にあるそうだが、雨が強くなりこちらは見に行けなかった。
誉田八幡宮の本殿
誉田八幡宮の本殿
誉田八幡宮の本殿
誉田八幡宮の建物その他
誉田八幡宮の庭園

すてき

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