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我堂八幡宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年03月10日(木)
参拝:2021年10月吉日
(開運松原六社巡り)
松原市天美我堂の住宅街にあり「厄除宮」「厄除さん」として古くから知られています。
創建は1680年となっています。八幡宮ということで御祭神は品陀別命(応神天皇)で、京都の岩清水八幡宮の分霊を勧請したとされていますが、別の情報では堺市にある百舌鳥八幡宮から勧請したとの記述もあります(百舌鳥八幡宮は石清水八幡宮の別宮でした)。
明治元年までは現在の社務所が建つ場所に神宮寺(宮寺)の黄檗宗寺院があり、昭和53年に再建されるまでの旧社務所には神宮寺の仏間が残されていたそうです。この神宮寺の本尊は高さ61.5cmの阿弥陀如来坐像ですが、像裏に「本尊阿弥陀如来神宮寺置之 永和三年巳年施主成田誓玄居士」の銘があることから、成田氏が1377年に寄進したとわかりますが、この永和という元号は北朝のもので、室町幕府では3代将軍足利義満の時代です。
楠木氏のイメージが強い河内国で北朝の元号が使われているのは、不思議ですね。
神宮寺は明治の廃仏毀釈で廃寺となり、その仏像などは他所に移されたそうです。
鳥居をくぐると境内が視界に全ておさまるほどのコンパクトな敷地ですが、とても素敵なところでした。
松原市天美我堂の住宅街にあり「厄除宮」「厄除さん」として古くから知られています。
創建は1680年となっています。八幡宮ということで御祭神は品陀別命(応神天皇)で、京都の岩清水八幡宮の分霊を勧請したとされていますが、別の情報では堺市にある百舌鳥八幡宮から勧請したとの記述もあります(百舌鳥八幡宮は石清水八幡宮の別宮でした)。
明治元年までは現在の社務所が建つ場所に神宮寺(宮寺)の黄檗宗寺院があり、昭和53年に再建されるまでの旧社務所には神宮寺の仏間が残されていたそうです。この神宮寺の本尊は高さ61.5cmの阿弥陀如来坐像ですが、像裏に「本尊阿弥陀如来神宮寺置之 永和三年巳年施主成田誓玄居士」の銘があることから、成田氏が1377年に寄進したとわかりますが、この永和という元号は北朝のもので、室町幕府では3代将軍足利義満の時代です。
楠木氏のイメージが強い河内国で北朝の元号が使われているのは、不思議ですね。
神宮寺は明治の廃仏毀釈で廃寺となり、その仏像などは他所に移されたそうです。
鳥居をくぐると境内が視界に全ておさまるほどのコンパクトな敷地ですが、とても素敵なところでした。
すてき
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ますみん822投稿
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