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たねかわじんじゃ

種河神社の御由緒・歴史
大阪府 新家駅

ご祭神《主》素盞嗚命,丹生神,大神
ご由緒

往時南山の荒尾山(童子畑)に祇園天王(素戔嗚大神)を祀る坊舎があり、荒尾谷天王と称して住民の崇敬が篤った。天文14年(約450年前)当地に天然痘が流行し病勢はなかなか治まらなかったが、祈祷した護符の効験により病勢が治まり庶民の崇敬が篤かった。
 しかし天正13年(1585年)豊臣秀吉の根来征伐の兵火の為、社房焼失するも住民の信仰が篤く、山下・樫木の森(現在の宮地区)に仮社殿を建立し祀ると共に、住民の避難地(葛畑及び童子畑)にも分霊し両地共に社殿を建立、八坂神社と称し住民の崇敬が篤かった。荒尾谷鎮座当時に於ける狛犬は、葛畑の八坂神社と当社とに各一基があるのは分霊した印であります。
 又南山の区域内なる湯屋谷に龗神の社があり、空海の勧請なりと伝えられ明応4年(1495年)八月大風雨により社殿が倒壊し文亀元年(1501年)山下・樫木の森に社殿を合祀したことから、三谷荘内に種々の争論が起こり長く和解できず、元和6年(1621年)月光院の住職であった前住浄花入心房ー浄月清花師が京都より紀伊の国なる故郷に帰る途中に、荘内に争論ありと聞き奔走・思案し、山下・樫木の森の社殿に合祀している二神と千森の明神(丹生大神)を合祀し、大社殿を建立荘内の総社とすることにより和睦を図ろうと住民に諮るに賛同をもらい、元和9年4月社殿竣工し寛永元年(1624年)9月京都御室仁和寺より種河明神の神号が授けられ、根来寺の慈空権僧正の自筆の神号の額が掲げられていた。明治時代に種河神社として改名されました。

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