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りげじんじゃ

里外神社の御由緒・歴史
大阪府 岡田浦駅

ご祭神呉服大明神
素戔嗚尊
ご由緒

 里外神社は、素戔嗚尊を祀る。古い社名は呉服大明神と称せられた。創建は、古く仁徳天皇の代に、古松杉うっ蒼と茂る森があり、ここに呉服大明神を産土神として社殿が創立された。日本書紀によれば人皇11代垂仁天皇の39年五十瓊敷命を菟砥川上に置きて倭文部を管理せしめられた。倭文部は、機織工にして、また菟砥川上とは信達の地であり、五十瓊敷命の墓は同地に在り、これまさに泉州機織の発祥の地であり当社はこの倭文織の守護神として尊崇されていた。中古に至り当社を去る西方約800m現在の氏の松のあたりに1本の老松あり、その根元より毎夜霊光を発し、東方に向かって当社境内に飛び行くのを見て、村人が根元を掘ったところ、一振りの霊剣を発見し、村人はその霊剣が必ず当社に深き由縁あるものと信じ、神社に奉献し霊剣を御神体として素戔嗚尊をご祭神として祀った。またその場所が岡田の里の外であったので社名を里外神社と改めた。伝説にはその霊剣は垂仁天皇時代に作られたものと伝えられている。
 建仁元年(1201)10月、後鳥羽院が紀州熊野大権現に行幸のおり、信達荘の王子社厩戸の御所に御止宿された折、岡田鰈の有名なるをお聞きになられ、当社にお成りになされた。村人は無上の光栄として悦び神社境内の渕にに飼育していた鰈を捕りて親しく献上したと伝えられ、この渕を王餘魚渕と名づけ給われたことも明らかなことである。その後行幸の砌りには王餘魚渕で飼育した鰈の献上が例となったと伝えられている。

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