御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方編集詳細
2026年01月28日(水) 23時03分 byInsidious
編集後
蛸地蔵
編集後
創建は元亀元年(1570年)と言われているが、天保年間の火災で、記録をすべて失ってしまい詳細は不明。しかし、『増上寺史料集』第五巻所収『浄土宗寺院史』「泉州寺院開山帳 岸和田組」には、寛永2年(1625年)に得譽上人が建立し、以後、寛文13年(1673年)までの48年間、住職をつとめたとしている。『天性寺聖地蔵尊縁起』によると、建武年間、岸和田城に高波が襲いかかった時、海の彼方より大蛸に乗った法師が海岸まで近付き波風を鎮められ城は救われたという。 天正12年(1584年)、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が尾張へ向けて大坂城を出発(小牧・長久手の戦い)。その隙を突いて、紀州征伐で敵対する根来衆・雑賀衆といった紀州の一向一揆の軍勢が、秀吉配下の中村一氏が寡兵で守る岸和田城へ攻め込み、大乱戦となった。数で圧倒する紀州勢の勢いが物凄く城が危うくなった時、蛸に乗った一人の法師が現れて、次々と紀州勢を薙ぎ倒した。しかし、紀州勢が盛り返して、蛸法師を取り囲もうとした時、海辺より轟音をたてて幾千幾万の蛸の大群が現れ、紀州勢を殺害することなく退却させた。一氏は喜び、その法師を探したが、結局分からなかった。ある夜、法師が一氏の夢枕に立ち、自分は地蔵菩薩の化身であると告げたので、その昔戦乱から守るため、堀に埋め隠し入れた地蔵菩薩像を出して祀ったという。 その後、一般の人もその利益(りやく)が受けられるように日本一大きいとされる地蔵堂に移され、現在に至っている。
編集後
阿弥陀如来 地蔵菩薩
編集後
南海本線 蛸地蔵駅より北西へ約500m
編集後
護持山
編集後
朝光院
編集後
1570年(元亀元年)
編集後
2119202