御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方

おのうとじんじゃ

男乃宇刀神社の御由緒・歴史
大阪府 和泉中央駅

ご祭神《主》彦五瀬命,神日本磐余彦尊,五十瓊敷入彦命
創建時代不詳
ご由緒

 本社は、当所は延喜(901~923年)式神名帳に記された男乃宇刀神社二座のうち一座で、御祭神は彦五瀬命と五十瓊敷入彦命であり上之宮と称されてきた。もう一座は、下宮町今の和泉市総合スポーツセンターの地において、御祭神は神武天皇であり下之宮と称されてきた。
 由緒として、神日本磐余彦尊は日向国(今の宮崎県高千穂)から日本の統一のため兄の彦五瀬命とともの東へ向かい、大和を平定しようとした。いわゆる神武東征である。やがて紀元前660年に橿原宮で即位初代神武天皇となられるのであるが、その過程においては負け戦もあり、生駒の地においての長髄彦との戦いの時には彦五瀬命は矢を腕にうたれ重傷を負い立て直しの為退却することとなった。その途中においてこの横山の地に立ち寄り、これを当時この地を治めていた横山彦が奉迎し今の狩山(現槇尾中学校の裏手の地)に行宮を営んだ、とある。狩山という地名もその時に神日本磐余彦尊が狩りをしたといわれる事からついた地名である。また、彦五瀬命が矢傷を洗われた所は坪井町澤家にある解気井(さぬきのい)であるといわれている。こうしたかかる深き縁をもって元慶年間に神社を創建したのであった。また、明治維新まで境内には「常願寺」という宮寺があり鎌倉初期に宇治川合戦先陣の巧賞で横山荘を授けられた佐々木高綱の建立といわれ当寺を菩提寺としてのち出家し住職をしたといわれている。
 男乃宇刀神社二座とともに文禄年間(1592~1596年)に牛頭天王を奉祀する事となり、上之宮座においては新しく八坂神社が建てられ、下之宮座においては御祭神神武天皇を同下宮町字切坂に遷し奉りて、その後は八坂神社と称し奉るようになった。ただ明治四十五年に還幸し奉りて八坂神社に合祀した。そういう経緯を経た後、昭和20年9月3日八坂神社下之宮座男乃宇刀神社を当上之宮座男乃宇刀神社に合祀した。そして下之宮座は、旧横山中学校(後に横山高校)の建設のためにその敷地を譲り、社殿は堺市の方違神社へ移譲された。

歴史の写真一覧

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!
行きたい
行った
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ