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2026年03月23日(月) 11時01分 byInsidious

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ふりがな
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あたご
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あたごじんじゃ
ご由緒
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当社は、平安時代中期(西暦927年)に勅令で編纂された「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に記された「式内社(しきないしゃ)」で、古社名は「火雷(ほのいかづち)神社」(写本の中には「大電(いなびかり)神社」と記すものもある)という。

日本神話によると「火雷神(ほのいかづちおおかみ)」は、国産みの神である伊邪那美命(いざなみのみこと)が死んだ後に生じた8神の一つと伝えられ、雷の猛威に対する畏れや稲妻と共にもたらされる雨の恵みへの感謝の信仰から生まれた農耕の神である。

近年まで当地では、日照りが長く続いた時には人々が毎夜、松明をもって当社を詣で「とんど」を焚いて恵みの雨を求めて祈りを続けた。

現在の社名「愛宕神社」は、「大野」や「大野ヶ芝」と呼ばれた起伏の大きい松林の点在する芝原であった福田の地が、陶器藩第二代藩主・小出有棟の命を受け氏家(屋号は福島屋)次郎兵衛武俊が正保元年(1644年)から3年をかけて開墾された江戸時代の初めに改まったものと思われる。

愛宕権現は仏教の「勝軍(しょうぐん)地蔵」を本地仏とし、火難除けや盗難除けの神である。

「福田」は開墾当初「大野新田」と呼ばれたが、開墾の成功を喜んだ小出有棟が
「一霞(ひとかすみ) ひらきやえたり 福田村」
を詠んで、開墾を請け負った福島屋にちなんで付けられた地名である。

当社は明治41年に、「一村一社」による国家神道の育成と神仏習合の廃止を決めた「神社令」が発せられたことにより廃止され、ご神体は上之の陶荒田神社に合祀され、3000坪を超える広い境内地は近隣の人たちに払い下げられたが、この後も福田の人々の信仰によって元の境内地の一隅に設けられたのが現在の社殿である。

当社務所南側にある屋根型は、明治の廃社によって萩原神社に移築されていた旧本殿の一部で、参道脇の2基の灯篭は平成21年に陶荒田神社より返還されたものである。
アクセス
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北野田駅西出口(北側)から徒歩約20分
御朱印
中興の祖
Restored time
社格