たるみじんじゃ
垂水神社の御由緒・歴史
ご祭神 | 《主》豊城入彦命,《配》大己貴命,少彦名命 | |
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ご由緒 | 孝徳天皇(ご在位645年~654年)の御代、この地の領主である阿利真公ありまのきみご祭神である豊城入彦命とよきいりひこのみことの子孫)が、干ばつに苦しむ難波長柄豊碕宮に、懸け樋を作って当地から水を送り、その功績をたたえられ、「垂水公たるみのきみ」の姓を賜り、垂水神社を創始しました。 このことは 『新撰姓氏録しんせんしょうじろく』の右京皇別うきょうこうべつの項に記載されております。(写真は垂水の滝)
これを意訳しますと、次のようになります。 「豊城入彦命の数世の御孫阿利真公、孝徳天皇の御宇、天下旱魃し河井涸絶せるに際し高樋をつくりて垂水岡基の水を長柄豊崎宮に通じ御膳に供すれば天皇その功を賞し垂水公の姓を賜いて本社を掌らしめ給えり」 『新撰姓氏録』とは、平安時代初期の815年(弘仁6年)に、嵯峨天皇の命により編纂された古代氏族名鑑のことです 。 おそらくこの時より以前からこの地では祖先神である豊城入彦命を祀る何らかのお社があり、また当然ながら都に送れるほどの水量のある滝があり、人々によって神聖な空間として大切にされていたのでしょう。また千里丘陵の南端に位置する当社は、上町台地に位置する難波宮とはほぼ南北の直線上にあって、距離にして約15㎞ですので、難波宮から滝が見えていたとも考えられます。 |
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