ちょうほうじ|高野山真言宗|王舎山
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楽しみ方長宝寺のお参りの記録一覧

摂津八十八所霊場での参拝。曼珠沙華が見頃でとても良きでした😊手水舎が瓢箪だったので秀吉ゆかりなのかなと思いましたがそうでもなさげ😅開基が坂上田村麻呂の娘である春子姫とのことで光永寺も田村麻呂の後裔である明鎮上人開基でしたから坂上氏一族ゆかりの地ということなのでしょうかね?そんなに広くはない境内ですが御堂も多くお参りのし甲斐はありました😊庫裏にて御朱印を拝受。

山門

由緒

後醍醐天皇行在所跡碑

寺号表札

手水舎

瓢箪とカエル

稲荷社

楠木大明神

鐘楼

曼珠沙華が見頃でした🤗

子安地蔵尊

お大師様

護摩堂

大師堂

密祖堂とあります。

本堂前

聖観音さま

如意輪観音さま

宝篋印塔と供養塔かな?

閻魔大王御判の由来

大絵馬

十一面観音御詠歌

えんまさま

尼寺霊場と摂津三十三所霊場看板

御真言


東へ方向を変えて歩いて行くとお寺様が向かい合っているのが見えます。
左手の長寳寺様へ向かいました。
長寳寺様は高野山真言宗のお寺様です。
御本尊は十一面観音菩薩をお祀りされています。
桓武天皇の妃で坂上田村麿の娘である春子が、桓武天皇がお隠れになった後に兄の広野麿へ頼り平野へ移り住み創建されました。
南北朝時代には後醍醐天皇が吉野へ向かう途中に仮の皇居とされた歴史もあります。どうりで塀に定規線が5本も入っているはずです。
閻魔様と代々のご住職との伝承も残されていて、それに関する「青蜘蛛の舎利」「閻魔大王木像」「閻魔大王実判」は現在も保管されています。
このエリアでこんなに坂上田村麿、広野麿親子の名を見かけるとは思ってませんでした。
長寳寺様のご住職は坂上家の女子がお務めされているそうです。

















この日は大阪、平野周辺を御朱印散歩。 次に訪れたのは平野本町にある高野山真言宗の寺院、長寳寺(ちょうほうじ)です。 「後醍醐天皇の行在所跡」と刻まれた石標が目に留まり立ち寄らせていただきました。 というのも、この2日程前に奈良・吉野を訪れ、後醍醐天皇縁の寺社を幾つかお詣り(お参り)させていただいており、何やらこれもご縁のように感じた為、こちらも参拝させていただいた次第です。 創建は大同年間(806年~ 810年)と伝わり、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の娘で桓武天皇の妃であった坂上春子(さかのうえのはるこ)が、桓武天皇の崩御後に出家し、兄である坂上広野(さかのうえのひろの)を頼って平野の地を訪れ、長寳寺の開基となったそうです。 南北朝時代には後醍醐天皇が吉野に皇居を移される時に、ここ長寳寺を仮の皇居としたことがあり、山号である「王舎山」はその際に天皇より下賜されたのだそうです。 また、長寶寺には閻魔王に纏わる伝承が残されていて、室町時代にあたる永享11年(1439年) 、慶心という尼僧が修行中に頓死するのですが、それは閻魔大王による逆修を勧させる為の戒めで、生前に仏さまの修行を怠けると地獄に堕ちてしまうぞ、というメッセージであったとのこと。 尚、「閻魔大王の証判を持つ者は地獄に落ちない」という、その証判を持っていた慶心は地獄に堕ちた3日後に蘇生します。 さらには読経中の慶心が傍らに現れた青蜘蛛を掴むとその蜘蛛が舎利に姿を変えたり、 逆修供養を営んだ際には客僧に扮した閻魔大王が来訪し木像を刻んで姿を消したとも。 この出来事を慶心は「よみがえりの草紙」として綴り、「青蜘蛛の舎利」・「閻魔大王木像」・「閻魔大王実判」とともに現在もこれらは長寳寺に残されているそうです。 本堂の軒下には閻魔様の人形?ぬいぐるみ?が鎮座しており、伺った時にはそれ以外に人影はありませんでしたが、庫裡のインターフォンを鳴らすと中から声がしたので御朱印をお願いすると、女性のご住職がご丁寧に対応して下さいました。 ありがとうございました。

長寶寺・山門

長寶寺・由緒書

長寶寺・本堂

長寶寺・本堂

長寶寺・鐘楼
梵鐘は鎌倉時代の建久3年(1192年)作のものです。

長寶寺・手水舎

長寶寺・手水舎
瓢箪と向き合った蛙が趣があります。

長寶寺・護摩堂

長寶寺・密祖堂(大師堂)

長寶寺・楠木大明神

御朱印・十一面観世音

久しぶりに自転車漕ぎました。🤣本日は摂津国三十三所第三十一番札所 摂津国八十八ヶ所第三十八番札所の長宝寺へ。それとネットで見た屋根瓦の長の字刻印を見たくてお参りに。
汗って自転車を漕いでる最中はあまり出ないのに、着いて山門をくぐると滝の様に流れてきて。💦御線香やロウソクに火を灯したいのに、汗が目に入って染みて痛くて大泣き状態でした。😂お寺情報じゃなくてすみません。
参拝中にちょうど御住職さんがお帰りになり、御朱印いただけました。かわいいエビの赤ちゃん飼育されていて、少しお話しも出来て、楽しいお参りになりました。



ひょうたんの御手水は初めて見ました。


本堂 ご本尊は十一面観世音菩薩




本堂前に如意輪観音


護摩堂 前に一願なで地蔵さま



楠大明神

そしてお目当ての屋根瓦刻印 カッコイイ❗️❗️

長 長 長…ステキ❗️

[摂津国八十八ヶ所38番札所]
[摂津国三十三観音31番札所]
杭全神社より南、R25渡り少し入るとありました。
閻魔大王と関係深いお寺のようです。
若い住職さんに道案内もいただき、助かりました。

御朱印 摂津国三十三観音31番

御朱印 摂津国八十八ヶ所38番

山門

寺由緒

楠木大明神稲荷社

手水 瓢箪から水が

子安地蔵 弘法大師

護摩堂

弘法大師堂

鐘楼 鎌倉時代のもの

本堂

庫裏で 閻魔大王様の実判

えんまさんのお寺
毎年5月18日は秘仏『十一面観音様』『えんま大王様』の御開扉




お守りを頂きました。
トウモロコシの粉でできているそうです。
閻魔大王様の印です。

記載は『長寶寺』です。大阪市平野区にある小さな寺院。宗派は高野山真言宗
本尊は十一面観音菩薩
札所等
摂津国八十八箇所第38番
摂津国三十三箇所第31番
尼寺霊場第22番
閻魔さんの寺としても親しまれる。
寺に所蔵される『よみがえり草紙』によれば、本堂に安置される閻魔王は、永享11年(1439年)6月6日、慶心坊尼を頓死させた。頓死させた理由は、存命中に仏道の修行を怠(なま)けると地獄に堕ちるということを知らせるために、地獄の恐ろしさを見聞させ、逆修を勧めさせるためであった。閻魔王は「閻魔大王の証判を持つ物は地獄に落ちない」といい、閻魔王の証判をもっていた慶心坊尼は地獄に堕ちた3日後に蘇生したという。
その後、嘉吉元年(1441年)10月15日、読経中の慶心坊尼が青蜘蛛(くも)をつかむと青蜘蛛は舎利に変わったという。嘉吉2年(1442年)、慶心坊尼が逆修供養を営んだ際に、客僧が来訪し、閻魔王の木像を刻んで姿を消した。その客僧が閻魔王であったという。
「青蜘蛛の舎利」、「閻魔大王木像」、「閻魔大王実判」は現在も、長寳寺に伝わっている。
慶心坊尼が、この出来事を書いたものが、『よみがえりの草紙』で、逆修を勧めるために書いたものが『逆修講縁起』である。
年に一度、5月18日に本尊十一面観世音菩薩とともに、閻魔王木像が開扉されて、僧侶により法要が行われる。また、僧侶が閻魔王像の前にて宝印を参拝者の体に触れて加持を行う。
現在、授与品として、「閻魔大王実判宝印」、「閻魔大王実判御札」があり、朱色(朱印)で閻魔大王実判(書き判・花押)が記してある。
YouTubeにて動画でアップ⤴️します。

閻魔大王の人形か怖いと言うより可愛らしい作りです🤭

寺院らしい門前ですね。

閻魔大王の由来が詳しく。


瓢箪型の手水舎は珍しいです。

閻魔大王のハンコも可愛らしい。



ひとつの願いなら叶えてくださるお地蔵さん。



寺院ですが鳥居⛩️のあるお稲荷さんが祀られています。


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