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ちょうほうじ

長宝寺のお参りの記録(1回目)
大阪府平野(Osaka Metro)駅

投稿日:2023年01月15日(日)
参拝:2022年8月吉日
この日は大阪、平野周辺を御朱印散歩。 次に訪れたのは平野本町にある高野山真言宗の寺院、長寳寺(ちょうほうじ)です。 「後醍醐天皇の行在所跡」と刻まれた石標が目に留まり立ち寄らせていただきました。 というのも、この2日程前に奈良・吉野を訪れ、後醍醐天皇縁の寺社を幾つかお詣り(お参り)させていただいており、何やらこれもご縁のように感じた為、こちらも参拝させていただいた次第です。 創建は大同年間(806年~ 810年)と伝わり、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の娘で桓武天皇の妃であった坂上春子(さかのうえのはるこ)が、桓武天皇の崩御後に出家し、兄である坂上広野(さかのうえのひろの)を頼って平野の地を訪れ、長寳寺の開基となったそうです。 南北朝時代には後醍醐天皇が吉野に皇居を移される時に、ここ長寳寺を仮の皇居としたことがあり、山号である「王舎山」はその際に天皇より下賜されたのだそうです。 また、長寶寺には閻魔王に纏わる伝承が残されていて、室町時代にあたる永享11年(1439年) 、慶心という尼僧が修行中に頓死するのですが、それは閻魔大王による逆修を勧させる為の戒めで、生前に仏さまの修行を怠けると地獄に堕ちてしまうぞ、というメッセージであったとのこと。 尚、「閻魔大王の証判を持つ者は地獄に落ちない」という、その証判を持っていた慶心は地獄に堕ちた3日後に蘇生します。 さらには読経中の慶心が傍らに現れた青蜘蛛を掴むとその蜘蛛が舎利に姿を変えたり、 逆修供養を営んだ際には客僧に扮した閻魔大王が来訪し木像を刻んで姿を消したとも。 この出来事を慶心は「よみがえりの草紙」として綴り、「青蜘蛛の舎利」・「閻魔大王木像」・「閻魔大王実判」とともに現在もこれらは長寳寺に残されているそうです。 本堂の軒下には閻魔様の人形?ぬいぐるみ?が鎮座しており、伺った時にはそれ以外に人影はありませんでしたが、庫裡のインターフォンを鳴らすと中から声がしたので御朱印をお願いすると、女性のご住職がご丁寧に対応して下さいました。 ありがとうございました。
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 梵鐘は鎌倉時代の建久3年(1192年)作のものです。
長宝寺の手水
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長宝寺の手水
長寶寺・手水舎
 瓢箪と向き合った蛙が趣があります。
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