くまたじんじゃ
杭全神社のお参りの記録一覧(2ページ目)
![ますみん](https://minimized.hotokami.jp/k9UgXBhlKx_StXFouVJuZLYsLU0R2vIuZXaaOi07x-U/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20210317-043014_QAuS02d9aK.jpg@webp)
[大阪の陣ゆかりの地]
この辺りは昔は平野郷と言われて、堺と並ぶ自治地区だったとのことです。
この杭全神社も堀に囲まれた郷内にあり、大阪の陣の時に徳川側についた為、豊臣d側に焼き討ちにあったようです。
本殿が重要文化財であったり、日本現存唯一の連歌所があったりします。
御朱印 大阪の陣ゆかりの地
鳥居
御神木
楼門
神社縁起
えびす神社
祖霊社
十柱神社
吉岡大明神稲荷神社
第一本殿 元禄時代 重要文化財
第二本殿 室町時代 重要文化財
第三本殿 室町時代 重要文化財
鎮守社
拝殿
堀に囲まれた杭全(くまた)神社。戦国を生き抜いた自由都市、平野郷の守り神だったのでしょうか。
杭全神社、本殿です。
JR平野駅から杭全神社に向かうと環濠跡があります。戦国の世に民衆が知恵を絞って防衛したのでしょう。
平野郷は大正に大阪市に編入されたそうです。自主独立の自治都市にとって断腸の思いだったでしょう。堺もそうですが、この関西の反中央の反骨精神。もう一度、関西が取り戻してほしい。
杭全神社は小学校に隣接しています。
小学校の隣の弁天池。
門をくぐると巨大な楠。
弁天池そばに。
征夷大将軍、坂上田村麻呂の孫が創建した神社です。
坂ノ上の名が。
![ジンジャー](https://minimized.hotokami.jp/6QuWVrBvTW528fciTeIxa0wnlnX9YBE8ezWvZJjPim4/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20191121-070012_N7AUijMAX0.png@webp)
日本で唯一、連歌所(れんかどころ)のある神社です。
連歌(れんが)とは、上の句と下の句を別の人が歌い合う和歌の事です。
大門
社務所
本殿
手水舎の提灯に書かれている【沃盥(よくかん)】調べても意味が出て来ず中国語のようです。「手洗いのタライ」という意味らしいです。
狛犬の足に巻かれた紐は、家人が無事帰るように祈願された物です。
祈願の仕方:2本の紐を持ち片方を狛犬の足に巻き付け祈願し、もう片方を出ていった家人の履物に括る
芳名舎
鎮守社
神輿舎
第三本殿
第二本殿
第一本殿 ※創建は第一、第三、第二の巡に建てられました
吉岡稲荷神社
十柱神社【恵比須社・大国主社・多賀神社・中井社・住吉社・八幡宮・松尾社・金比羅宮・愛宕社・加茂社】
クマ?
祖霊社・田村社
恵比須神社
大黒様が居ますよ
分かりますか?
大黒様です
平野環濠跡
樟社
しめ縄柱
忠魂碑
筆塚
宇賀神社
周りの池は「弁天池」
すずめ
すずめ
はと
すずめ
![garu](https://minimized.hotokami.jp/VoWoFmSpc3rh5_V4loE6aQtVP1BFXf3LToAyIN0qcJE/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20190704-082104_jluA5F5GGN.jpg@webp)
平野の町の中に有りながらも、空気の清浄感がはんぱない場所です。
ビックリするほど大きな鳥居はお祭り用かしらとうっすら思ってます(笑)
柵で入れなくなっている平野郷の名残の水路。
人が入らないせいで自然そのままに残っていて別世界でした。
連歌所;日本で唯一連歌所が残っており、連歌会は明治以降廃れていたが、1987年に復活させ、現在、毎月定期的に平野法楽連歌会が催されている。
![裕遊抄uusho](https://minimized.hotokami.jp/TXYLzS_cP0eY7MzkxcvEpBRmaE4ujkIkId-S41hwOS8/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20190524-061220_96Dcq31CfJ.jpg@webp)
旧府社です。
貞観四年(862年)に、征夷大将軍坂上田村麿の孫の坂上当道が牛頭天王を祀ったのが創祀とのことです。現在第一本殿に祀られています。
その後建久元年三月三日(グレゴリオ暦1190年4月16日)に、熊野證誠権現(伊弉諾尊)を祀り、現在第三本殿に祀られています。
更にその後元享元年(1321年)に、熊野三所権現(伊弉册尊・速玉男尊・事解男尊)を祀り、現在第二本殿に祀られています。
掃き清められて大変美しい境内でした。
御朱印をいただきました。
感謝です!!拝。
参道にある神田です
参道に鎮座されている宇賀社です。
境内入り口の大きな楠の木です。
大門です。
左から第一本殿、第二本殿、第三本殿です。
第一本殿です。
第二本殿です。
第三本殿です。
![nahi](https://minimized.hotokami.jp/1Tccm64qYpvD-JfoLOAHlqe5PE-GsfzADTfYtHbbBjA/s:30:30/q:20/plain/https://pbs.twimg.com/profile_images/903582367176056833/JPz0StrV_normal.jpg@webp)
杭全、と書いて「くまた」と呼ぶ。私は大阪に引っ越してきて5年が過ぎたが、この地名を覚えるまで同じくらいの年月が必要だった。喜連瓜破や放出などと並ぶ市内屈指の難読地名だろう。さて平野駅から少し歩くとこの神社にたどり着く。参道脇に樹齢100年を超える大きな樟が植わり、戦国時代に作られた環濠が今もゆっくりと境内の横を流れている。この神社は特に戦国や幕末の歴史に深い由縁があるわけでもない。ただ、日本で唯一の連歌所が残っているという非常に珍しい場所であるため、見に来たのである。連歌と聞くと平安を連想してしまうのだが、室町時代あたりからこの神社では重要行事として連歌会が催されていたそうだ。明治になり一旦廃れる。昭和62年におよそ100年の時を超え復活し現在に至っている。毎月一回連歌会が開かれているそうだ。連歌所の建物は、社務所の裏にあった。残念ながら固く扉は閉じられていたので外から眺めるだけであったが。
また、本殿前の狛犬が変わっている。足に紐が結ばれているのだ。これを「走人足止め祈願」の紐と呼ぶ。狛犬の足に結んで願をかけた紐を持ち帰り、家出人の履物に結んでおくと、居なくなった人が家に戻ってくると言い伝えられている。
大阪府のおすすめ2選🎌
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