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せんしょうじ|真宗大谷派空楽山

専称寺の御由緒・歴史
大阪府 喜連瓜破駅

ご本尊阿弥陀如来
創建時代元亀二年(1571)
開山・開基恵光上人
ご由緒

専稱寺は元亀二年(1571)僧恵光(現慧光寺)により本願寺末の道場として開創され、寛永二年(1625)道場を再建、本尊・寺号を承応元年(1652)西本願寺より免許され寺院となった。以後も〈西〉から寛文十三年(1673)太子・七高僧絵図の下付を受け、延宝三年(1675)、良如上人(西本願寺二世)絵像を戴き、江戸時代初期にほぼ寺観が整う。しかし百年余り下って寛政十一年(1799)の蓮如上人絵像は〈東〉の下付である。慧光寺が〈東〉に転じ、貞享四年(1687)平野に落ち着いたのを機に、次第に〈東〉への帰参意識が高まり、講中の意向によって、この頃から〈東〉への舵を切り始めたと思われる。明治三年(1870)生粋の〈東〉、空楽寺から慧光寺経由で慧誠(えじょう)が住職として当寺に入寺、明治の中頃、それまで強いられてきた東西両属から解放され、東本願寺末となって現在に至る。
 山号の空楽山は、天正二年(1574)武田信玄公の家臣であった沼田新左衛門重光が主君を失い郷里に戻ることなく出家、空楽坊行請と号し、江之子島(大阪市西区)に流れ着いた阿弥陀仏を奉じて、教如上人の言に従い空楽寺を興した故事による。なお、空楽寺は今も淀川区に、真宗大谷派・百済山空楽寺として上記の阿弥陀仏と共に存続し慧誠によってもたらされた空楽寺縁起を記す巻物は専稱寺に伝持されている。

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