にょがんじ|真言宗御室派|霊峰山
如願寺のお参りの記録一覧
大阪府の寺社仏閣巡りの5箇所目は、4箇所目の八尾市の西隣りの大阪市平野区に在る霊峰山 如願寺です。
真言宗御室派で、本尊は秘仏・聖観音。
この秘仏本尊・聖観音立像は府指定文化財で、年に2日のみの8/9と8/10の千日会で開帳されます。また本尊と併せて開帳される地蔵菩薩立像は市指定文化財です。
今回8/10に大阪に訪れたのは、この開帳日に合わせたためです。
伝えによれば、588年に聖徳太子により創建。元は地名の喜連村から喜連寺と号し、阿弥陀寺・弥勒寺など四方に諸堂を備える大伽藍であったが後に荒廃、817年に空海が再建し、如願寺と改めた。大永年間(1521~8年)以後に兵火・震災により諸堂は消失。現在の本堂は享保年間(1716~36年)に再建されたものとの事です。
お寺の近くまで来ているのですが、道は狭いし、一方通行が多いし、ぐるぐる走り回ってやっと寺号柱を見付け、境内に駐車してある車が見えたので、その横に停めさせて頂きました。
境内には本堂、新しそうな弥勒堂、庫裏。(帰宅後に知りましたが、境内の一角に宿坊「すばる庵」を営んでいます。)
早速本堂に上がらせて頂きました。中にいらっしゃったのは外国人の方で、お話をさせて頂くとロシア出身でご住職の娘さんと結婚して現在は副住職を努めて7年との事。日本語ペラペラ、御朱印もヘタな日本人より上手にお書きになる、私の車のナンバーの漢字の地名までわかるとは正直驚き。(相当苦労された事と思います。)
その副住職さんに内陣の仏像を案内して頂けました。中央の厨子に本尊・聖観音立像、近くに寄って観させて頂けました。高さ約110cm、一木造、衣の彫りは浅め、細身で腰を少し捻っています。残念な事に上からの幕があってお顔は下半分位しか見えませんでしたが、それでも綺麗なお顔であり、魅力的で美しい像でした。また、股の下には縦に3つの渦巻き模様が彫られていました。平安時代前期~中期の作と考えられます。
右側手前の厨子には地蔵菩薩立像、高さ約91cm、寄木造、ふくよかな感じの優しいお顔、彩色が良く残っています。平安時代後期の作と考えられます。
最後に御朱印を頂きました。御朱印帳の挟み紙は、可愛らしい仏様の版画(だと思います)でした。
御朱印
御朱印帳挟み紙
南門
本堂
本堂内(ネットから転載)
聖観音立像
地蔵菩薩立像
弥勒堂
大阪市平野区にあります、
如願寺に訪れました。
真言宗御室派の寺院で、御本尊が【聖観世音菩薩】
摂津国三十三所観音霊場 第三十二番札所、
摂津国八十八所観音霊場 第三十七番札所。
ロシア人の副住職さんが居るので有名。
本日は如願寺さんで、【喜連手作り市】が開催していたので訪れました。色々な手作り作品のブースが沢山出店しており、多くの人が訪れてとても賑わってていました。如願寺さんのすぐ近くにあります専念寺さんもアズサクリエーションさんとコラボ出店していて、限定御朱印と喜連城跡の御城印も限定販売しており多数参拝客も訪れていました。
とても沢山の人が訪れ、大変賑わっていました。
【専念寺】イラストレーター兎月氏の11月限定御朱印【融通】
専念寺さんが先日出版された本(サイン入り)
出版記念御朱印とセットで入手✨
出版記念御朱印
アズサクリエーションさんの挟み紙
専念寺【喜連手作り市】限定御朱印
【世界平和だにゃん】
専念寺【喜連手作り市】限定御城印
(押印が一つ抜けていたので、後日に再度訪問した際に直して頂く予定🤣)
【如願寺】
以前に参拝した際には寺務所へお伺いする勇気が出なかったけれど、今回は勇気を出して御朱印を頂く事ができました。とても親切に色々教えてくださいました。
御本尊の聖観世音菩薩さまと弘法大師さまの2種の御朱印があるそうで、今回は御本尊の御朱印を頂きました。
直書き
仁和寺の御朱印帳に拝受
白露、季節の言葉。本日は猛暑でした。真夏が帰ってきていました。
[摂津国三十三観音32番札所]
[摂津国八十八ヶ所37番札所]
全興寺より南に10分ほどで着きます。
小さめなお寺ですが、庫裏など素敵です。
御朱印お願いしたら、若奥様が対応くださり、お話しするとご主人が現ご住職だとのこと。
しかも、ロシア出身なんだと!
国境を越えて、素晴らしいことですね。
御朱印 摂津国三十三観音32番
御朱印 摂津国八十八ヶ所37番
入口
寺由緒
本堂
弥勒堂
水掛不動明王
摂津国三十三箇所32番・摂津国八十八箇所37番
聖徳太子が仏法興隆の地として喜連寺を建てたと言われる。西には阿弥陀寺、東に弥勒寺、南に薬師如来をまつる湯谷寺、その他別院として橋本寺・松本寺・善法寺・高野寺を擁する大伽藍であった。その後堂宇は縮小し、 弘仁8年、空海がこの霊場に詣で、その衰退を悲嘆し、杖を立てそれが朽ちないうちに再建の願いを立て上京し、勅許を蒙って来てみると杖は植木の如くになっていた。弘仁11年、諸堂を再建し如願寺と寺名を改め、脇侍不動明王・毘沙門天を自作安置し、鎮守堂を建立した。大永年間以後、兵火震災にあい、諸堂は消失し、現在の本堂は享保年間に再建されたものである。
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