こまつじんじゃ
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楽しみ方小松神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年12月21日(日) 16時24分13秒
参拝:2025年11月吉日
この日は平野区に用事があったので
それを済ませてから少しだけ散策しました。
最初に到着したのは小松神社様です。
御祭神は
小松明神(コマツミョウジン)
をお祀りされています。
源氏の湯浅七郎兵衛宗光が「安元の戦い」の際に
平重盛に生命を救われました。
その後 重盛が入水して亡くなったので報恩の為に
お社を建て小松大明神としてお祀りしたのが
始まりです。
と境内の由緒書には記載されていたのですが…
腑に落ちない点が2点ありました。
1つ目に「安元の戦い」なのですが安元年間には
武士同士の武力衝突はありません。考えられるのは
重盛が命を救ったという点から平氏が優位に話を
進めた「鹿ケ谷の陰謀」というクーデターを
検非違使を使って鎮圧した件と推察します。
また熊野で入水したのは重盛ではなく重盛の嫡男の
維盛です…ということは重盛に受けた恩を維盛を
お祀りすることで報いたということでしょうか?
正解かどうかは分かりませんが(^-^;
こういう考察する余地がある御由緒は大好きです。
それを済ませてから少しだけ散策しました。
最初に到着したのは小松神社様です。
御祭神は
小松明神(コマツミョウジン)
をお祀りされています。
源氏の湯浅七郎兵衛宗光が「安元の戦い」の際に
平重盛に生命を救われました。
その後 重盛が入水して亡くなったので報恩の為に
お社を建て小松大明神としてお祀りしたのが
始まりです。
と境内の由緒書には記載されていたのですが…
腑に落ちない点が2点ありました。
1つ目に「安元の戦い」なのですが安元年間には
武士同士の武力衝突はありません。考えられるのは
重盛が命を救ったという点から平氏が優位に話を
進めた「鹿ケ谷の陰謀」というクーデターを
検非違使を使って鎮圧した件と推察します。
また熊野で入水したのは重盛ではなく重盛の嫡男の
維盛です…ということは重盛に受けた恩を維盛を
お祀りすることで報いたということでしょうか?
正解かどうかは分かりませんが(^-^;
こういう考察する余地がある御由緒は大好きです。
すてき
投稿者のプロフィール

れん太郎1390投稿
元々は休日に景勝地へドライブが趣味で、神社仏閣もお参りするのが好きでした。 年齢を重ねて夫婦で何か形のあるものを残したいと考えていたところ、細君より御朱印集めを提案され令和六年三月より始めました...もっと読む
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