ぞうふくじ
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増福寺ではいただけません
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増福寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2017年09月03日(日)
参拝:2015年4月吉日
天王寺にも、橙武者こと薄田兼相の墓があると聞いてやってきた。先日寄った羽曳野市の田んぼの中にあった墓は、明治になってから子孫にあたる広島藩浅野家の人間が道明寺や誉田の古戦場を精査し、戦死した場所と断定して墓を建立したそうだ。
今日訪れた増福寺は谷9にあって、寺がずらっと並ぶ一角に建っている。こちらの墓は、江戸末期の文化11年(1814年)に子孫が建立したものである。石碑の側面には兼相の経歴や建立の経緯が書かれている。出身地については山城国説と筑後国説があるのだが、ここでは山城国と書かれていた。博労淵の戦いでは遊郭に繰り出したすきに砦を奪われ、「この橙武者め!」と味方からも嘲られたり、道明寺の戦いに霧で遅参し、後藤又兵衛を討死させてしまったりと、大坂の陣の兼相には情けない逸話ばかりが伝わっている。
今日訪れた増福寺は谷9にあって、寺がずらっと並ぶ一角に建っている。こちらの墓は、江戸末期の文化11年(1814年)に子孫が建立したものである。石碑の側面には兼相の経歴や建立の経緯が書かれている。出身地については山城国説と筑後国説があるのだが、ここでは山城国と書かれていた。博労淵の戦いでは遊郭に繰り出したすきに砦を奪われ、「この橙武者め!」と味方からも嘲られたり、道明寺の戦いに霧で遅参し、後藤又兵衛を討死させてしまったりと、大坂の陣の兼相には情けない逸話ばかりが伝わっている。
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