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敷津松之宮 大国主神社ではいただけません
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敷津松之宮 大国主神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年07月27日(木)
参拝:2023年2月吉日
大阪市浪速区敷津西に鎮座する神社で、摂末社の日出大国社は「大国主神社」とも呼ばれており、こちらの神社の方がよく知られている。地元では「木津の大国さん」と呼ばれ親しまれている。
神功皇后が三韓征伐より帰朝し、住吉大社から敷津の浜を航行していると海岸に荒波が打ち寄せており、渚に松を3本植えて、ここより潮が満ちないよう祈願し、その松の下に素盞嗚尊を祀ったのが由緒とされている。
摂社・大国主神社は延享元年(1744)2月に神託があり、出雲大社の神を勧請して建立され、大阪七福神の一社でもある。
付近の町名(浪速区大国)や駅名(大国町駅)の由来にもなっている。大国主神社では大阪七福神の大国主命(大黒天)を祀っている。敷津松之宮・大国主神社との併記も見受けられるが、宗教法人としての登録名は「敷津松之宮」である。
境内には木津川と現在の浪速区や大正区にあたる地域の開発に尽力した木津勘助(中村勘助)の像がある。
神功皇后が三韓征伐より帰朝し、住吉大社から敷津の浜を航行していると海岸に荒波が打ち寄せており、渚に松を3本植えて、ここより潮が満ちないよう祈願し、その松の下に素盞嗚尊を祀ったのが由緒とされている。
摂社・大国主神社は延享元年(1744)2月に神託があり、出雲大社の神を勧請して建立され、大阪七福神の一社でもある。
付近の町名(浪速区大国)や駅名(大国町駅)の由来にもなっている。大国主神社では大阪七福神の大国主命(大黒天)を祀っている。敷津松之宮・大国主神社との併記も見受けられるが、宗教法人としての登録名は「敷津松之宮」である。
境内には木津川と現在の浪速区や大正区にあたる地域の開発に尽力した木津勘助(中村勘助)の像がある。
すてき
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竜王1045投稿
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