たいゆうじ|高野山真言宗|佳木山
太融寺のお参りの記録一覧
佳木山 太融寺(たいゆうじ, 高野山真言宗 準別格本山, 821年)
本堂, 一願堂, 奥之院, 護摩堂, 大師堂, 東門, 西門, 北門, 南門, 鐘楼, 八角堂, 客殿, 本坊, 空海が開山, 本尊は千手観世音菩薩, 源融ゆかり
この日は細君の実家に年末のご挨拶に伺い、その流れで梅田の周辺をお参りして来ました。
太融寺様は高野山真言宗の御寺様で、御本尊は千手観音菩薩をお祀りされています。
821年に弘法大師がこの地で得た霊木で地蔵菩薩と毘沙門天を彫り、草庵を結びお祀りされたのが始まりとされています。
その後、嵯峨天皇から千手観音菩薩像を下賜され、その皇子である河原左大臣源融公により七堂伽藍が建立されています。
大阪城落城の際や大阪空襲で焼け落ちていますが、その都度復興されています。
梅田に出るのは久しぶりで車の運転が大変でした(^^;)
境内に一歩足を踏み入れると熱心にお参りされている方が多く、外の喧騒とはかけ離れた静かで穏やかな空気で一杯でした。
821年、空海(弘法大師)がこの地にあった霊木から地蔵菩薩と毘沙門天を作製し、それを祀る草庵を結んだことが当寺の始まりとされる。翌年には嵯峨天皇の勅願により空海が天皇の念持仏である千手観音を本尊として正式に寺院としたと伝える。843年に嵯峨天皇の皇子である左大臣源融によって境内地が広げられ、八町四面の七堂伽藍が建立された。その際、山号を佳木山とし、源融の諱から寺名を太融寺と改めた上、鎮守社として神野太神宮(現:綱敷天神社)も創建されている。以後は浪華の名刹として参詣者で賑わった。境内には豊臣秀吉の側室・淀殿のお墓もある。御朱印は直書き。
今日は、淀君のお墓で有名な太融寺さまにお参りにあがらせていただきました。
ウメチカの「いずみの広場」から地上にあがるとすぐにお寺の塀が見えてきますので、わかりやすいです。
寺内はきれいに掃除されて清潔感あり、石庭もすっきりした感じですが、やはり二次大戦の時に空襲を受けているため戦争後に再建されており、京都のお寺とは少し雰囲気はちがっています。
でも、「一願不動」さまの後ろには泉が湧いており、神秘的な場所でした。
不動さまの周りにはお百度を踏む女性、弘法大師像の前で手を合わせる方など、熱心な信者の方で賑わっていました。梅田の繁華街の中でも弘法大師のお仕事が残っている場所があることがひじょうに興味深かったです。
御朱印です。納経所の若いお兄さんが書いてくださいました。力強い筆跡で達筆です。
イズミの広場から向かうと、西門から入ることになります。写真には虹のような光が・・・弘法大師さまが「こっちだよ」と呼ばれているような感じがしました。
那智山を詠んだ「和歌」が書かれていました。
「大坂三十三カ所」って、どこどこ?後で調べてみます。
「源融公」は嵯峨天皇の皇子で、ここに伽藍を建立されたお方だそうです。
西門側から見た「ご本堂」。
鐘楼です。
「ぼけ封じの観音様」にもお参り。そろそろそんな年なので・・・
白龍さま。この真後ろに淀君のお墓があります。(お墓は写真は撮りませんでした)
淀君の生涯の説明が書かれています。
ご本堂正面です。
後ろには梅田のビル群が・・・やはり都会の真ん中にいらっしゃることを再確
認。右側の塔のある建物に一願不動さまがいらっしゃいます。
ご本堂へ向かって右側には石庭があります。
石庭の奥には目新しい八角堂の建物があり、見所は多かったです。
弘法大師さまです。一願不動さまはお百度を踏んでおられる方がいらっしゃいましたので、撮影は遠慮しました。
5年半ぶり2度目の参拝。
前回不動明王ので力強さな圧倒されましたが、記憶が薄らいでおり、再度見たさに参拝。
やはり迫力満点です。
前回は「大悲閣」の御朱印をいただいており、今回「一願不動明王」を拝受しました。
史跡 淀殿の墓
厄除 弘法大師
ボケ封じ三十三観音第七番札所
御朱印:
今回拝受 一願不動
前回拝受 大悲閣
由緒書
大阪府のおすすめ3選🎍
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