じょうこうじ|臨済宗南禅寺派|初日山
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常光寺の編集履歴
2023年09月09日 10時01分
ご由緒
奈良時代に僧行基が創建したと伝えられている。当初は「新堂寺」と称していた。
南北朝期に戦乱で寺は焼かれ、一旦は荒廃した。至徳2年(1385年)に土豪・藤原盛継により復興、翌年に地蔵尊・阿弥陀堂などを再建した。室町時代に足利義満から、自筆の 「初日山」「常光寺」 の額が納められた。(寺宝として現存。)
大坂の役において、付近は激戦地となったが、本寺は徳川方の保護を受けた。 徳川方の武将・藤堂高虎は本堂の北にある住職の居間(方丈)の縁側に敵方の首級を並べて「首実検」をしたという。その縁板は後に方丈の西廊下の天井として貼り替えられた。 おびただしい血痕がついていたため、「血天井」と称された。
編集前:奈良時代に僧行基が創建したと伝えられている。当初は「新堂寺」と称していた。
南北朝期に戦乱で寺は焼かれ、一旦は荒廃した。至徳2年(1385年)に土豪・藤原盛継により復興、翌年に地蔵尊・阿弥陀堂などを再建した。室町時代に足利義満から、自筆の 「初日山」「常光寺」 の額が納められた。(寺宝として現存。)
大坂の役において、付近は激戦地となったが、本寺は徳川方の保護を受けた。 徳川方の武将・藤堂高虎は本堂の北にある住職の居間(方丈)の縁側に敵方の首級を並べて「首実検」をしたという。その縁板は後に方丈の西廊下の天井として貼り替えられた。 おびただしい血痕がついていたため、「血天井」と称された。
見所
<h3>河内音頭発祥の寺
藤堂高虎が打ち取った首を並べた跡と言われる血天井がある<h3>
編集前:<h3>河内音頭発祥の寺
藤堂高虎が打ち取った首を並べた跡と言われる血天井がある<h3>
巡礼
河内西国三十三観音霊場第3番札所
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