だいせいしょうぐんじ|高野山真言宗|神妙椋樹山
大聖勝軍寺のお参りの記録一覧
大聖勝軍寺 聖徳太子御遺跡&河内西国三十三所霊場
大聖勝軍寺 聖徳太子御遺跡&河内西国三十三所霊場
大聖勝軍寺 聖徳太子御遺跡&河内西国三十三所霊場
大聖勝軍寺 聖徳太子御遺跡&河内西国三十三所霊場
大聖勝軍寺 聖徳太子御遺跡&河内西国三十三所霊場
大阪府の寺社仏閣巡りの4箇所目は、2箇所目、3箇所目と同じく八尾市に在る神妙椋樹山 大聖勝軍寺です。
聖徳太子建立三太子の一つで、太子町・叡福寺の「上の太子」、羽曳野市・野中寺の「中の太子」に対して、こちらは「下の太子」と呼ばれています。
高野山真言宗で、本尊は如意輪観音。
この本尊・二臂如意輪観音思惟半跏像は府指定文化財です。(如意輪観音は六臂(腕が六本)が多いが、こちらは二臂(二本)で、右手を頬に当てて、左足を下に垂らしている容姿。)
他に、四天王像と毘沙門天像も府指定文化財で、聖徳太子孝養像・二王子立像は市指定文化財です。
聖徳太子が、崇仏派の蘇我馬子と共に排仏派の物部守屋を討つために、信貴山の毘沙門天に祈願し、四天王を祀った。その加護により物部守屋を討ち、戦勝を得ることが出来たため四天王寺とこの寺の太子堂を建てたと云う。また、「椋の木」が聖徳太子を護った事から594年に推古天皇より「神妙椋樹山」の山号と、聖徳太子が戦勝を得た事から「大聖勝軍寺」の寺号が贈られたとの事です。
国道25号線沿いの北側に境内があり、駐車場は寺号柱の右側にありましたので停めさせて頂きました。(通常は山門前の空きスペースに停める模様。)
山門手前右側に石造の聖徳太子と四天王像がありました。(割と新しい)
山門をくぐると正面に本堂(太子堂)。右側に平和塔。本堂右側に地蔵堂。左側手前から鐘楼、毘沙門堂、庫裏。本堂裏側に新本堂(新太子堂)が建ち並びます。
先ず本堂から。中央に二臂如意輪観音思惟半跏像(府指定)、両脇に2躯ずつ四天王像(府指定)が祀られています。堂外からなのでやや距離があり、四天王像はガラスケースに入れられているため反射して見辛いです。平和塔には聖徳太子孝養像・二王子立像(市指定)が祀られていると思いますが閉扉された厨子の中で観れません。 毘沙門堂には毘沙門天像(府指定)が祀られていますが、戸口からかなりの距離があり、おまけに(下陣と内陣を区切る?)格子戸があるため、仏像があるなあ程度でした。
一通り境内を廻ったので御朱印を頂こうと庫裏へ行くと「新本堂にいます」と貼り紙。新本堂へ行く途中にご住職の奥様とすれ違った際にお願いすると「新本堂が開いてますし、クーラーも効いているので先にそちらへ行ってくれ」と。新本堂に入ると壁一杯にドデカい聖徳太子が描かれてありました。中では女性陣が忙しそうに絵灯籠の準備をされていました。お聞きすると8/15、16に万灯会が行われるそうでそれの準備との事でした。少し涼ませて頂いてから再度庫裏に戻って御朱印を頂きました。御朱印帳には挟み紙が入れてあり、半紙に聖徳太子が書かれていました。(1枚1枚手書きされているのかなあ?)
御朱印(下の太子)
御朱印挟み紙
(紙に皺があるのでコピーではなく手書きと思います。スゴい手間です。)
山門前
石造の聖徳太子と四天王像
山門
手水
神妙椋樹
平和塔
地藏堂
本堂(太子堂)
本尊・二臂如意輪観音思惟半跏像、両脇に2躯ずつ四天王像
二臂如意輪観音思惟半跏像
鐘楼
お不動さん
毘沙門堂
新本堂(新太子堂)
万灯会で吊るす絵灯籠の準備中
庫裏
万灯会の様子(ネットから転載)
堺での予定が済んだあと細君から「八尾行かへん?」との提案がありました。
「八尾?大聖勝軍寺?」Σ(゜▽゜;
「うん」ってことで家を通り過ぎて八尾へ!!
しかし、またもやナビにやられて御寺の裏に…
もう慣れて来たので狭い生活道路を慎重に回って国道25号線へ出て到着(^-^)
縁起としては崇仏派の聖徳太子が廃仏派の物部守屋との戦に「勝てばお祀りする寺院を建てます」と四天王に祈願し、苦戦の末に勝ったことで四天王寺様と大聖勝軍寺様の元となる太子堂を建てた事とされています。
周辺の太子堂という地名にもなっていますし、近隣の方からもとても親しまれている御寺様です(^-^)
《聖徳太子ご霊跡巡り その2》
大阪府八尾市にある高野山真言宗の寺院です。
開基が聖徳太子。
ご本尊は聖徳太子十六歳像とされます。
聖徳太子建立の三太子の一つで「下の太子」と呼ばれます。
用明天皇の御代、廃仏派の物部守屋との戦いに勝利すべく四天王に祈願したことから、戦後この地に建立されたといわれます。推古天皇2年(594年)に現在の山号と寺号が贈られました。
その3へ
https://hotokami.jp/area/osaka/Hmatz/Hmatztk/Dazaa/9161/166886/
その1へ
https://hotokami.jp/area/osaka/Hmatm/Hmatmtr/Dyprr/6394/166512/
《ご朱印》
第2番「下之太子」
《山門》
《鐘楼》
《毘沙門堂》
《神妙椋樹》
《本堂》
《地蔵堂》
[聖徳太子霊跡2番札所]
[[河内西国観音1番札所]
[河内飛鳥古寺3番札所]
[河内飛鳥七福神 毘沙門天]
以前通りかかって、とっても気になっていたお寺でした。
やっといけてとても嬉しいです。
聖徳太子ゆかりのお寺だけにところどころに由来が。
誰もいらっしゃらないのでゆっくりお参りできました。
御朱印お願いすると、お土産までいただき、感激しました。
御朱印 河内飛鳥古寺3番
御朱印 河内飛鳥七福神 毘沙門天
御朱印 聖徳太子霊跡2番
御朱印 河内西国観音1番
山門
聖徳太子と四天王
由緒
鐘楼
不動明王尊
毘沙門天堂
平和塔
神妙椋樹
神妙椋樹について
救世観音菩薩像
地蔵堂
本堂
弘法大師修行尊
石仏と寺務所
八尾駅から10分ほど。国道25号線沿い。
山門前が駐車スペースになっており、無造作に停められている。
奥ばったところに山門があるためか、よくわからず国道を走っていると「え、これ!?」ってなり、指示器を急に出すぐらいややわかりにくい。看板は出てるんだけどね。
山門をくぐり真っ直ぐに本堂、裏に大きな新太子堂。会館のようになっており巨大な聖徳太子画がいる。
左手が毘沙門堂、寺務所。右手に平和塔、地蔵堂。地蔵堂奥にお墓が並ぶ。
すごく大きな伽藍ということはないが、歴史を感じさせどれも見応えがある。
御朱印をいただいたら、「おひとつどうぞ」とお守りのようなものをいただきました。境内にある菩提樹の実だそうです。
太子堂と言う名前が大きく書かれてあったので、ここが大聖勝軍寺だとは思わなかったんですよ(苦笑)
塔頭かなにかだろうかと・・・。
で、裏から入れるのかと回ったら普通に裏で(笑)ああ、あの太子堂がお寺さんだったんだと納得(笑)
そんなに大きなお寺さんではなかったんですが、色々と歴史的有名な場所なので興味は尽きません。
古神道を信じ、宮中の国儀一切を仕切っていた物部守屋が仏教を国内に入れる事に反対し、蘇我馬子と聖徳太子の軍と戦いになった事は有名な歴史ですが、この地が守屋終焉の地とされています。
このお寺さんはそういった背景から守屋に勝った事を祝って建てられたというのでこの名前になっているそうです。
この地域は「太子堂」と呼ばれている地域で大阪には「太子堂」がいくつかあって、河南町の叡福寺(えいふくじ)の「上の太子」、羽曳野市の野中寺(やちゅうじ)の「中の太子」に対して、ここは「下の太子」と呼ばれています。
迹見赤檮の矢によって守屋は殺されたのですが、その弓を放った場所に「弓代塚」(探し忘れた)が立っており、守屋を射抜いた矢が落ちた場所が「鏑矢塚」(図書館の隣にあった)そして守屋の首を洗ったのが門前の「守屋池」(探すのを忘れた)があります。
近くには守屋のお墓もあります(別項目で紹介)
ここの御朱印は鏑矢のハンコがされてました。
本堂(太子堂)
東門
この木の隙間に太子が・・・。
御朱印
御朱印を頂いたら「良かったら持って帰ってください」と言われ持って帰った手作りのストラップ
聖徳太子は「仏教を導入した功績」と「遣唐使として小野妹子を派遣」を学校で主に習いますが、聖徳太子霊蹟巡りでこちらにお参りをして、初めて聖徳太子の武人としての側面を強く認識しました。
聖徳太子四天王として「蘇我馬子=増長天」「秦河勝=多聞天」「小野妹子=持国天」「迹見赤檮=広目天」が記載された石をみたとき、四天王寺の「四天王」も実際には聖徳太子を助けたこの4人を意味するのだと理解しました。
単に「教義」や「信仰」は方針にはなるものの、現実には具体的に動いてくれる人たちがいて時代は前に進みます。戦に於いて武を司る物部守屋に勝たねばなりませんでした。
戸矢学さんは「四天王寺は物部守屋の怨霊封じの寺」だと主張されてますが、もしその通りであるならなおさら、戦場で守屋を破っている四天王を以ってその怨霊を封じることに一層大きな意味があるような気がします。
大聖勝軍寺に参詣しました。聖徳太子ゆかりの寺です。蘇我氏と物部氏との崇仏戦争の戦場です。下之太子。
御朱印
古戦場の碑
山門
案内碑
太子堂
神妙椋樹苑
神妙椋樹苑の案内碑
太子と四天王
鏑矢塚
鏑矢塚の案内板
稲城址
稲城址の案内碑
守屋池
守屋墓
聖徳太子
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