ちんたくれいふしゃ
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楽しみ方鎮宅霊符社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年03月09日(月) 23時04分50秒
参拝:2026年3月吉日
大阪の新石切駅から南に行った極楽寺の境内(?)に鎮座する神社です。
社名は道教の経典とされる『道蔵』にて「太上秘宝鎮宅霊符」に由来しており、日本においては道教から派生した陰陽道に取り入れられ鎮宅霊符神として祀られていました。
社名は道教の経典とされる『道蔵』にて「太上秘宝鎮宅霊符」に由来しており、日本においては道教から派生した陰陽道に取り入れられ鎮宅霊符神として祀られていました。

《生垣》

《境内》

《鳥居前》
左奥に極楽寺の正門があります。
左奥に極楽寺の正門があります。

《顕彰碑》
👁チェックポイント‼️
この顕彰碑によると、鎮座地である東山町の周辺であった額田村には朝廷の内廷機関であった陰陽寮に所属していた組織が「歴代組」という名で居住していたと伝わります。応仁の乱以降には中央の陰陽寮の長官である土御門家が自領である若狭国名田庄に避難したこともあって衰微の一途を辿り、明治には完全に没落したと読み取れます。
この顕彰碑はこの地の里人たちの信仰の中心であった樟(くすのき)を切ってしまった後にその苗を植えて再興を図った櫻井藤八翁という方を讃えた内容となっています。
👁チェックポイント‼️
この顕彰碑によると、鎮座地である東山町の周辺であった額田村には朝廷の内廷機関であった陰陽寮に所属していた組織が「歴代組」という名で居住していたと伝わります。応仁の乱以降には中央の陰陽寮の長官である土御門家が自領である若狭国名田庄に避難したこともあって衰微の一途を辿り、明治には完全に没落したと読み取れます。
この顕彰碑はこの地の里人たちの信仰の中心であった樟(くすのき)を切ってしまった後にその苗を植えて再興を図った櫻井藤八翁という方を讃えた内容となっています。

《由緒書き》
当社は応仁の乱以降に土御門家によって勧請されたと伝わります。
陰陽道自体は安倍晴明さんと現在の野生の自称陰陽師の方々で有名ですが、公的機関である陰陽寮は応仁の乱以降朝廷に戻ることが叶わず、江戸時代には垂下神道を取り入れて土御門神道として残っていきました。
そのため現在は本物の陰陽師と呼ばれる存在はいません。
当社は応仁の乱以降に土御門家によって勧請されたと伝わります。
陰陽道自体は安倍晴明さんと現在の野生の自称陰陽師の方々で有名ですが、公的機関である陰陽寮は応仁の乱以降朝廷に戻ることが叶わず、江戸時代には垂下神道を取り入れて土御門神道として残っていきました。
そのため現在は本物の陰陽師と呼ばれる存在はいません。

《参道の階段》
設置した方のお名前があります。
設置した方のお名前があります。

《拝殿》🙏


《石碑》

《御神木?》
樟(くすのき)ではなさそうですが、もしやこれが顕彰碑にある木なのでしょうか?
樟(くすのき)ではなさそうですが、もしやこれが顕彰碑にある木なのでしょうか?
すてき
投稿者のプロフィール

神祇伯1752投稿
どうも、全国の古い神社に出没するお稲荷さんの下僕です。ブログで参拝した神社の感想上げてます(3/15更新) 御朱印も集めてますが写真は載せない主義なので、戴けたところは順次報告&更新します。もっと読む
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