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2025年09月17日(水) 13時21分 bysoo_cyan
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聖武天皇の勅願により鑑真和上或いは道鏡法印によって開基された。本尊として行基菩薩の十一面観音菩薩の霊像を祀る。平安仏教のよき理解者であった和気清麻呂公一族の庇護を受けて栄え、多くの高野聖が集り、「西の高野山」と称された。また近隣には多くの薬草が地生し、八塔寺の僧侶が作る薬草は有名であった。後年、生活に困窮した八塔寺の僧侶たちがこの薬草を売り歩いて生計を立てたこともあるという。
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当山は奈良時代神亀五年(728)、聖武天皇の勅願により鑑真和上(688~763)或いは道鏡法印(700~772)によって開基された。本尊として行基菩薩の十一面観音菩薩の霊像を祀る。平安仏教のよき理解者であった和気清麻呂公一族の庇護を受けて栄え、多くの高野聖が集り、「西の高野山」と称された。また近隣には多くの薬草が地生し、八塔寺の僧侶が作る薬草は有名であった。後年、生活に困窮した八塔寺の僧侶たちがこの薬草を売り歩いて生計を立てたこともあるという。 数多の変遷の後、元暦元年(1184)右大将源頼朝公により、鎌倉幕府の祈祷所として塔堂・僧舎が再建され、十三重塔や七十二の寺院が建ち並び、隆盛を極めた。 南北朝時代に戦乱により本堂・伽藍等が焼失したが江戸時代に入り、池田藩により再興された。 寛政年間にまたも灰土に化したが、幸いにも本尊の十一面観世音菩薩の霊像は在し続けられた。文化十三年(1816)国司の提唱により、当山中興の祖・妙道上人により再建され、天保三年(1832)真言宗と天台宗は別山精舎を経営するに至り、十一面観世音菩薩の霊像を祀る天台宗「照鏡山八塔寺」と当山、定朝作の不動明王の霊像を祀る真言宗「恵日山高顕寺」とに改号し現在に至る。
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(伝)道鏡
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(伝)鑑真和上あるいは道鏡法印