ももいやまじんじゃ
百射山神社岡山県 総社駅
参拝自由
備中国窪屋郡の式内社です。鎮座地である宮山は弥生時代に支配層の人たちの墳丘墓とされており、前方後円墳よりもっと古い歴史的価値のある場所です。
《鳥居と社号碑》
社号碑は百射山神社なのですが、なぜか扁額は「明見宮 御崎宮」と書かれています。
《表参道》
車が通れて、先に駐車場があります。
《三輪山の遺跡群》
《由緒書き》
現鎮座地はかつての窪屋郡には属しておらず、本来は総社市清見の福山の山頂にあり、そこから焼失して幸山に再建し、藩主の命で現在地へ遷座したそうです。
《手水舎》
両側にそれぞれあります。それだけ混雑するということでしょうか。
《拝殿》
☆チェックポイント!!
拝殿の扁額はさらに「三輪神社 百射山神社 御崎神社」となっています。
しかも屋根の上に翼の生えた人らしきものが…
《末社・木野山神社》
お世話になって…あ、お稲荷さんじゃないわ。
コレラ除けのご利益のため勧請されました。
《本殿》
流造のようですが、屋根が区切られているので、向拝付きの入母屋造です。
《末社》
もともとこの地にあった御崎神社三輪神社を合祀したため、扁額が三社合同となってるらしいです。
以上、御朱印書きに来てくれた神主さんからのご教授でした。
当社は、平安時代(794~1185)に完成した「延喜式」(えんぎしき)にも名を残している古社で、元は福山(倉敷、清音、山手にかかる標高302メートルの山)に奉斎されていたが、建武年中の福山合戦(1336)にて社殿を焼失した。
後に隣山の幸山(こうやま)に遷座されたが、更に江戸時代の始め藩主池田光政公の命により寛文12年(1672)現在の宮山の麓へ移され今日に至っている。
創建は不明であるが、御祭神の大山積命は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の御子で、天孫瓊瓊杵尊(てんそんににぎのみこと)の后妃木花開耶媛命(このはなさくやひめのみこと)の御父神であり、第1代神武天皇の御代に伊予国(愛媛県)大三島に御鎮座された大神様である。
後の御代に命の御神裔五田守国勝長狭命(ながさのみこと)と宇津命(うつのみこと)が、水軍を率いて吉備の島々の賊を平らげ、滞在地の百射之山島(福山)に御祖神(みおやがみ)大山積命を奉斎したのが当社の始まりと伝えられている。[岡山県神社庁HPより引用]
名称 | 百射山神社 |
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読み方 | ももいやまじんじゃ |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 10分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
ご祭神 | 〈主〉大山祇命 〈相〉吉備武彦命,猿田彦命,大物主命 |
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ご神体 | 不詳 |
創建時代 | 不詳 |
創始者 | 不詳 |
本殿 | 入母屋造 |
ご由緒 | 当社は、平安時代(794~1185)に完成した「延喜式」(えんぎしき)にも名を残している古社で、元は福山(倉敷、清音、山手にかかる標高302メートルの山)に奉斎されていたが、建武年中の福山合戦(1336)にて社殿を焼失した。
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