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おおはらはちまんぐう

大原八幡宮の編集履歴
2024年03月17日(日)
大分県 日田駅

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超第六天魔王ニキ
2024年03月17日 20時09分

ご由緒

日田の八幡神社の初見は天武天皇白鳳9年(680年)、靱負郷岩松峰(日田市天瀬町馬原金場)に宇佐の鷹の居の社にいます神と名乗る神が現れ、社(鞍形尾の宮)を建てて祀ったことが初めである。慶雲元年(704年)、杉原の杉の下に神が降りて村の女に神懸かり、「岩松の峰の神」を名乗って「杉原が便宜よいのでここにきた」と告げたとして、社を建てて祀ったというのが大原八幡宮の前身である杉原宮である。

貞観13年(871年)若しくは仁寿2年(852年)に、当時日田郡司であった大蔵永弘によって、杉原宮から現在の元宮に遷座され、宇佐神宮より橋本公則を迎え社司としている。建久4年(1193年)、大友能直が、東の総社を柞原八幡宮、西の総社を大原八幡宮として鎌倉鶴岡八幡宮の参拝礼式に改めさせたといわれる。

元和10年(1624年)日田永山城主石川主殿守忠総により、元宮から現在の位置へ遷座された。その際、社殿形式に八幡造を用い、屋根意匠に権現造の要素である八棟造を用いて建立されている。遷座前の場所は元大原神社や元宮神社と呼ばれ、現在も江戸時代中期に再建された社殿が残る。

編集前:日田の八幡神社の初見は天武天皇白鳳9年(680年)、靱負郷岩松峰(日田市天瀬町馬原金場)に宇佐の鷹の居の社にいます神と名乗る神が現れ、社(鞍形尾の宮)を建てて祀ったことが初めである。慶雲元年(704年)、杉原の杉の下に神が降りて村の女に神懸かり、「岩松の峰の神」を名乗って「杉原が便宜よいのでここにきた」と告げたとして、社を建てて祀ったというのが大原八幡宮の前身である杉原宮である。

貞観13年(871年)若しくは仁寿2年(852年)に、当時日田郡司であった大蔵永弘によって、杉原宮から現在の元宮に遷座され、宇佐神宮より橋本公則を迎え社司としている。建久4年(1193年)、大友能直が、東の総社を柞原八幡宮、西の総社を大原八幡宮として鎌倉鶴岡八幡宮の参拝礼式に改めさせたといわれる。

元和10年(1624年)日田永山城主石川主殿守忠総により、元宮から現在の位置へ遷座された。その際、社殿形式に八幡造を用い、屋根意匠に権現造の要素である八棟造を用いて建立されている。遷座前の場所は元大原神社や元宮神社と呼ばれ、現在も江戸時代中期に再建された社殿が残る。

トイレ

授与所の横にあり

編集前:社務所の横にあり

行事

例祭 9月23日
仲秋祭(放生会)(9月21日 - 25日)
米占祭(3月15日)

編集前:例祭 9月23日
仲秋祭(放生会)(9月21日 - 25日)
米占祭(3月15日)

文化財

選択無形民俗文化財
大原八幡宮の米占い行事 - 平成11年(1999年)12月3日選択。
日田市指定有形文化財
楼門・拝殿・幣殿・本殿 - 平成元年(1989年)11月22日指定。

編集前:選択無形民俗文化財
大原八幡宮の米占い行事 - 平成11年(1999年)12月3日選択。
日田市指定有形文化財
楼門・拝殿・幣殿・本殿 - 平成元年(1989年)11月22日指定。

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