ふきじ|天台宗|蓮華山
富貴寺のお参りの記録一覧
宇佐神宮六郷満山霊場巡礼で参拝。4番札所。
本尊は阿弥陀如来。
718年仁聞により開かれたと伝わる。大堂は国宝。
本堂は解体修理中で、現在仮本堂が設けられている。
本堂(修理中)
仮本堂
大堂
大堂
大堂
山門
板碑
国東塔
十王
笠塔婆
【蓮華山(れんかさん)富貴寺(ふきじ)】
本尊:不動明王(本堂)・阿弥陀如来(大堂)
宗派:天台宗
開基:仁聞(にんもん)
~百寺巡礼:五木寛之氏が選んだ百の名刹 第99番~
富貴寺は、大分県豊後高田市田染蕗(たしぶふき)にある。718(養老2)年、阿弥陀堂を建立したのがはじまりとされる。本山本寺の西叡山高山寺の末寺とされる。宇佐神宮六郷満山霊場第4番。
~富貴寺という名前は、「富む」という字に「貴い」という字をあてて「ふき」と読んでいるが、以前は植物のフキの字で「蕗寺(ふきじ)」と書いていたらしい。この「蕗」というのは、富貴寺がある地域一帯の地名である。(中略)この蕗のあたりは、宇佐神宮の神宮寺だった弥勒寺の修行の山でもあり、寺領でもあった。そのため、僧侶兼開拓者兼農民というような人たちが、山中で信仰生活を送りながらこうした寺を開いていったらしい。半農半僧といってもいいだろう。ところが、江戸時代になると、幕府の身分制度や宗教政策のなかで、農業をしながら僧侶をするということが許されなくなった。半農半僧だった人びとは、農民か僧侶かどちらかを選ぶように迫られたのである。とはいえ、米や野菜をつくる農民が減って、人から施しを受けて生きる僧侶が多くなれば、村全体が生きていけなくなる。そのため、大半の人びとは僧の道を棄てて、農民になる道を選らばざるをえなかった。
こうして、六郷満山のかつての六十数ヶ寺の多くは、このころに廃寺になってしまったらしい。
だが、そのなかで富貴寺はかろうじて生き残ることができた。そして優美な堂宇をいまに伝え、かつての六郷満山の隆盛の歴史を物語っているのである。~
~『百寺巡礼 第十巻 四国・九州』五木寛之(講談社、2005)~
【寺号標】
【仁王門】
【仁王 阿形像】
【仁王 吽形像】
【山門 奉納額】
【大堂】
国宝。
【大堂 左側】
【大堂 裏側】
堂内入口。
【大堂 右側】
【御神木(銀杏)】
【御神木(榧木(かやのき))】
【笠塔婆】
【十王像】
【奪衣婆】
【国東塔】
【大堂】
【薬師岩屋】
大堂の裏山。急傾斜な岩肌。
~古代の山岳修験者たちは、こうした場所で瞑想にふけったり、のみをふるって仏像を岩壁に刻んだりしていたのではあるまいか。(中略)古代の修験者や行者たちは、あちこちに点在するこうした岩屋で修行をつんでいた。官僧ではない、いわば非公式な僧がこの地に集まってきて、自分たちの仏の道を思索して、それをきわめようとしたのである。~
【薬師如来】
【白山社(六所権現)】
【鳥居】
【拝殿】
【本殿】
【大堂】
【仮本堂】
「本堂」解体修理中のため仮本堂を参拝。
【仮本堂 内陣】
【ネコさん】
帰りに出会ったネコさん。精悍な容姿。
【不動明王御影】
富貴寺本堂解体修理記念。
【御朱印】
六郷満山
大分県国東(くにさき)半島は、みほとけの里。
六郷満山は、718年(養老2年)に八幡神の化身とされる仁聞(にんもん)によって開かれたという伝承をもつ寺院群。もともとは、宇佐神宮の神宮寺 弥勒寺の行場であり、1113年(永久元年)にこれらの行場が比叡山の末寺となって以降、"六郷山"とよばれるようになったそうです。仁聞は、"六郷山"にとっての"理想の行者"像。
多くの寺院が一つにまとまるためになくてはならない存在として、六郷満山の歴史の節目に度々登場します。
六郷とは、来縄(くなわ)・田染(たしぶ)・安芸(あき)・武蔵(むさし)・国東(くにさき)・伊美(いみ)6つの郷のこと。両子山(国東半島の山)を中心に6等分した地域の名前というイメージで捉えています。
昔、クリスチャンの大名が地域を治めるようになった時、潰された寺が少なくなかったとのこと。神仏分離政策で廃寺になったお寺さんも・・。
いろいろあっても、"生き残ってくれた(?)お寺さん"に感謝しかありません。🙏
富貴寺大堂は、九州最古の和様建築物。西国唯一の阿弥陀堂は国宝。ご住職が幼い頃は、雨の日の子供たちの遊び場だったとのこと。残念ながら、壁画はうっすらとしか見えませんが、子供たちが遊んでいる姿が想像できました。御本尊の阿弥陀さまふくよかなお顔立ちでおられます。藤原時代末期の秀作。平成14年に修復されたそうです。
山号:連華山
宗派:天台宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:伝718年(養老2年)
開基:仁聞
富貴寺大堂( 阿弥陀堂)
お堂の中に須弥壇があり、阿弥陀様がおられます。😊
神仏習合
仁王像
仁王像
仁王門
お昼は、"だんご汁定食"
心もお腹も満たされました。🤭
いただいた御朱印🙏
4/22・23日に連休が取れたので
大分県国東半島を廻ってきました。
今回は『六郷満山』の31霊場のうち、
特別札所を廻りました。
豊後高田市の『蓮華山 富貴寺』
何も下調べせずに訪れたのですが、
本堂は改修工事をされているようです。
拝観料¥500を支払い阿弥陀堂へ。
御本尊の阿弥陀如来坐像は長年一体で安置されていたそうですが、
本堂の改修に伴って脇侍の観音菩薩と勢至菩薩を伴った
「阿弥陀三尊像」の姿で御開帳されています。
約100年ぶりとなる富貴寺大堂の本来の姿が拝める
またとない機会だそうで、知らずに訪れましたがラッキーでした。
718年仁聞により開かれたと伝わる。
本堂が解体修理中のため、大堂に観音様が移され、今だけ三尊形式でお参りできる。
大堂は平安時代の建築で国宝、阿弥陀如来像、大堂壁画は重文指定されている。
大堂はかつて地域の集会所として使われいたらしい。
鎮守六所権現社(現・白山社)は1667年に造立されたが、1760年焼失。
現在の本殿は1762年に拝殿は1819年に再建されたものである。
大堂
大堂
大堂
国東塔
奥之院薬師岩屋
六所権現社(白山社)拝殿
六所権現社(白山社)拝殿
六所権現社(白山社)本殿
六所権現社(白山社)本殿
傘塔婆
十王像
板碑
仮本堂
本堂
山門
御朱印帳を失くされました。
御朱印をいただくため受付に預けたところ「帰りに受け取って」と言われましたので、参拝後に受付に立ち寄ったところ、私の御朱印帳は他の人が間違えて持っていったとのことでした。
御朱印帳を預けたのですがと申し出たところ、全く私のものではない御朱印帳を差し出され「これ。」と無愛想に言われました。
それではない、預けたはずだと言いましたが「私は記入済みの御朱印帳をここ(受付台)に置いただけだから。」の一点張りで謝罪もありませんでした。
私の御朱印帳を受付台に置く前に預かったはずだし、お金をもらっているのに杜撰な対応、そして人のものを無くしたと言うのに最後まで横柄な態度を取られたこと今だに信じられません。
また、「見つかったらここに連絡をください。」と自分の住所と電話番号を預けましたが、最後まで寺から謝罪や見つかったとの連絡はなく、間違えて持っていってしまった人から連絡がありました。
見知らぬ人に勝手に個人情報を渡すなど、人の個人情報をなんだと思っているんでしょうか。
あまりにも高飛車で、いくら仏に仕えてると言ってもこの寺の方々が救われることは無いと思うし、ご利益もあまり感じません。
二度といくことはありません。
そして人にも勧めませんし、御朱印帳を預けないことをお勧めします。
12月8日までの限定御朱印を頂きました!
雨が降っていましたが途中で晴れて中に入られていただき丁寧にご説明頂きました!
階段を上ったところにあります。
床一面の銀杏の葉に感動しました‼️
この日は参拝の方が少なくスムーズにお参りできました❗
紅葉も色づいて綺麗でした(^o^)
限定の御朱印帳です!残り少なかったので買えてよかった😍
真木大堂から車で約15分。
六郷満山31霊場・第4番特別札所、富貴寺にやってきました。
平安時代に開かれたたいへん由緒ある寺院で、こちらの阿弥陀堂は中尊寺金色堂・平等院鳳凰堂と並び 日本三大阿弥陀堂に数えられます。もちろん国宝です!
他の2寺院に比べるとかなりこじんまりとしていますが、とてもいい佇まいといいますか、落ち着いた雰囲気。へんなきらびやかさなどありません。
あいにくこの日は台風接近中で阿弥陀堂が閉鎖されており、中を拝観することはできませんでした...残念! (まぁしかし、後にあらためて参拝し御本尊様を拝観することができましたが。)
こちらの住職さんがまた気さくな方で、若くてちょっとヤンチャな感じ(笑)なのですが、いろいろお話を伺うこともできました。
他の巨大寺院と違い観光収入も少ないのでしょうが、本堂や阿弥陀堂を修繕・修復して大切に後世に伝えていってほしいです。
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