御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方

うなぎひめじんじゃ

宇奈岐日女神社の編集履歴
2024年04月08日(月)
大分県 由布院駅

神祇伯さんのプロフィール画像
神祇伯
2024年04月08日 21時38分

ご由緒

創祀そうしは不詳ふしょうですが、景行天皇けいこうてんのうが九州西征きゅうしゅうせいせいのみぎり、景行天皇けいこうてんのうみずから神を祭った親祭しんさいの宮みやとされ、景行天皇けいこうてんのう12年(82)10月に当地の速津姫はやつひめが勅ちょくを奉ほうじて創祀そうししたとも伝えられています。御祭神ごさいじんは、国常立尊くにのとこたちのみこと・国狭槌尊くにさつちのみこと・彦火火出見尊ひこほほでみのみこと・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと・神倭磐余彦尊かむやまといわれびこのすめらみこと・神渟名川耳尊かんぬなかわみみのみことの六柱ろくはしらの神々。康保こうほう年中(964-968)性空上人しょうくうしょうにんが由布岳ゆふだけに六観音ろくかんのんの霊場れいじょうを開いて佛山寺ぶっさんじを開基かいきし、宇奈岐日女神社うなぎひめじんじゃと習合しゅうごうして六柱ろくはしらの神々を祀まつったことから、六所宮ろくしょぐう、六所様ろくしょさま、木綿大明神ゆうばだいみょうじんと称されました。

当初の御祭神ごさいじんは、『六国史りっこくし』に見るように宇奈岐日女神うなぎひめのかみで、北東に座する由布岳ゆふだけの化身けしんであったとも、古く沼地であった湯布院盆地ゆふいんぼんちの沼沢しょうたくの精霊せいれいであったとも考えられています。

伝承でんしょうでは、宇奈岐日女神うなぎひめのかみは、かつて由布院盆地ゆふいんぼんちに広がっていた湖を見て、力自慢の従者じゅうしゃの道臣命みちのおみのみこと(蹴裂権現けさきごんげん)に命じ、湖の西にあった山を蹴破らせます。たちまち湖水は流れ出し、大分川おおいたがわとなって別府湾べっぷわんに流れ込み、現在の盆地を造ったとされ、南西4kmほどにある蹴裂権現社けさきごんげんしゃがその場所だとされています。湖には、もともと大きな龍が棲んでいたものの、水が干上がったせいで龍は神通力じんつうりきを失ってしまいます。龍は小さな場所でも良いから安心して住める池が欲しい、そうすれは美しい水を湧き出させ、村の人々を守ると宇奈岐日女神うなぎひめのかみに願います。宇奈岐日女神うなぎひめのかみは、願いを聞き入れて残したのが金鱗湖きんりんことされています。

そのことから宇奈岐日女神うなぎひめのかみは、農業の神、水神様すいじんさまとして親しまれ、湯布院ゆふいんの守護神しゅごしんとして崇敬すうけいされています。また、「うなぐ」とは、勾玉まがたまなどの飾りを意味し、勾玉まがたまを首からかけた身分の高い女性が巫女みことして仕えたことから、宇奈岐日女うなぎひめは神に仕える巫女みこだったとも考えられています。神託しんたくを伝えることで、政治を司つかさどり、神格化されたとの説もあります。

明治6年(1873)郷社ごうしゃに、大正12年(1923)県社けんしゃに列格れっかくしました。境内けいだいは、大木の御神木ごしんぼくの並ぶ鬱蒼うっそうりとした社叢しゃそうでしたが、平成3年(1991)9月27日の台風19号により倒され、144本の樹々を失いました。その中には、最長55m、幹回り9m、樹齢600年を超える大杉が何本かあり、現在その一部の切株が、御年社みとししゃと並んで祀まつられています。

編集前:境内社に、
厳島社
政正社
御年社

ご祭神/ご本尊

国常立尊
国狭槌尊
彦火火出見尊
彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊
神倭磐余彦尊
神渟名川耳尊

編集前:《主》国常立尊,国狭槌尊,彦火火出見尊,彦波瀲武草葺不合尊,神倭磐余彦尊,神渟名川耳尊

アクセス

由布院駅下車 徒歩15分
由布院駅から出る観光の馬車でも行けます(乗り場で確認して下さい)

編集前:由布院駅下車 徒歩15分
由布院駅から出る観光の馬車でも行けます(乗り場で確認して下さい)

参拝時間

授与所:08:30〜16:30

参拝所要時間

約20分

創始者/開山・開基

速津姫

本殿/本堂の建築様式

三間社流造

編集前:流造

ご神体

由布岳

Wikipedia

1081867

ログインすると情報を追加/編集できます。