ささむたじんじゃ
西寒多神社の編集履歴
郵便番号
870-1123
住所
大分市寒田1644
編集前:大分市大字寒田1644番地
ご由緒
社殿によると、神功皇后が三韓に兵を進めて帰陣の際、本宮山に行幸し、四方の国々をご覧になり、そこに一本の白旗を御建てになり御帰りになられた。残された白旗を人々が敬い瑞垣を結び聖地として崇められるようになったとされる。やがて、応神天皇の御代になり、武内宿禰に勅を奉じになられ、応神天皇九年宮殿の建立に当たった。これが西寒田神社の始まりとされる。
さらに、藤原鎌足が百済救済のため豊前の国仲津郡まで来た際、霊夢のお告げにより西寒田神社に参拝し、老朽化した社殿を修築、太刀一振りと八幡舞面を奉納している。869年(貞観11年には朝廷より神階「従五位下」が授けられ『延喜式神名帳』で豊後の国唯一の式内大社とされた。
以後、大友家歴代からの尊崇を集めた。特に大友家第十代大友親世は社殿を現在の地へ遷座を行うなど崇敬を熱くしていたとされている。江戸時代になると「豊後国一宮」として称されるようになり、1871年(明治4年)には、「国幣中社」に列格。その後、社格制度の廃止に伴い「別表神社」として氏子・崇敬者の尊崇を受けている。
編集前:社殿によると、神功皇后が三韓に兵を進めて帰陣の際、本宮山に行幸し、四方の国々をご覧になり、そこに一本の白旗を御建てになり御帰りになられた。残された白旗を人々が敬い瑞垣を結び聖地として崇められるようになったとされる。やがて、応神天皇の御代になり、武内宿禰に勅を奉じになられ、応神天皇九年宮殿の建立に当たった。これが西寒田神社の始まりとされる。
さらに、藤原鎌足が百済救済のため豊前の国仲津郡まで来た際、霊夢のお告げにより西寒田神社に参拝し、老朽化した社殿を修築、太刀一振りと八幡舞面を奉納している。869年(貞観十一年0には朝廷より神階「従五位下」が授けられ『延喜式神名帳』で豊後の国唯一の式内大社とされた。
以後、大友家歴代からの尊崇を集めた。特に大友家第十代大友親世は社殿を現在の地へ遷座を行うなど崇敬を熱くしていたとされている。江戸時代になると「豊後国一宮」として称されるようになり、1871年(明治四年)には、「国幣中社」に列格。その後、社格制度の廃止に伴い「別表神社」として氏子・崇敬者の尊崇を受けている。
アクセス
JR肥後本線「大分大学前駅」下車 徒歩30分
編集前:JR肥後本線「大分大学前駅」から徒歩30分
創立
応神天皇9年
編集前:応神天皇九年