御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
金砂山円光寺閻魔堂ではいただけません
広告
金砂山円光寺閻魔堂のお参りの記録(1回目)
投稿日:2017年07月08日(土)
山号を、金砂山円光寺閻魔堂(えんまどう)といい、今日では「えんま市のお堂」として親しまれています。
戦国時代の頃までは半田村にあったと伝えられ、江戸時代中期の資料「柏崎町古絵図」には、町の東の木戸の門外に位置していたことがわかります。
「えんま市」の起源となった馬市が下町から移ってお堂の境内で開かれるようになったのは、明和年間(1764~1771)の頃からで、約70年間続き以後馬市にかわって節季市の形で受け継がれ、今日のえんま市(6月14日~16日)となりました。
お堂は数度の火災で類焼し、現在の土蔵造りの建物は明治29年に建てられたもので、4代目篠田宗吉によって建てられたものです。
「閻魔堂の言い伝え」の看板には、閻魔堂に残されていた宝永7年(1710)の「越後国柏崎町焔魔堂縁起」の一部を、今のことばに直し、わかりやすくしたものが記されています。
戦国時代の頃までは半田村にあったと伝えられ、江戸時代中期の資料「柏崎町古絵図」には、町の東の木戸の門外に位置していたことがわかります。
「えんま市」の起源となった馬市が下町から移ってお堂の境内で開かれるようになったのは、明和年間(1764~1771)の頃からで、約70年間続き以後馬市にかわって節季市の形で受け継がれ、今日のえんま市(6月14日~16日)となりました。
お堂は数度の火災で類焼し、現在の土蔵造りの建物は明治29年に建てられたもので、4代目篠田宗吉によって建てられたものです。
「閻魔堂の言い伝え」の看板には、閻魔堂に残されていた宝永7年(1710)の「越後国柏崎町焔魔堂縁起」の一部を、今のことばに直し、わかりやすくしたものが記されています。
すてき
投稿者のプロフィール
湯本泰隆123投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。