御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方
【サポーター特典】幸せと健康を毎月ご祈願
100年後に神社お寺を残せる未来へ

えいりょうじ|浄土宗

栄凉寺の写真一覧
新潟県 長岡駅

御朱印・御朱印帳

授与品

境内

栄凉寺の本殿・本堂
本殿・本堂
河井継之助の墓の目印の標柱(上半分 下は人物が写っているのでカット)
栄凉寺の本殿・本堂
本殿・本堂
本堂(上半分 下は人物が写っているのでカット)
栄凉寺のお墓
お墓
大目付二見虎三郎の墓です。小千谷談判に唯一同席した長岡藩士で、剣の腕前も藩随一だったとされています。小千谷談判での交渉決裂後、小千谷市内にある東忠にて、河井継之助と遅い昼食を取り、詩を吟じながら酒を嗜んだ逸話もあります。河井継之助亡き後は、会津に舞台を移し奮戦するも七日町口の戦いで負傷しその傷がもとで、山形にて亡くなっています。近年発見された肖像は、長州征伐時に撮影されたものと言われている。(慶応2(1866)年、撮影時31歳)
栄凉寺のお墓
お墓
北越戦争終戦後長岡の復興に尽力した功労者の1人である三島億二郎の墓です。当初北越戦争に反対していたものの、継之助の覚悟を知り従う事を決意。北海道の開拓にも尽力し、幅広く活躍しています。
栄凉寺のお墓
お墓
長岡藩軍事総督河井継之助の墓です。長岡城再落城の後に会津若松へ向かう道中、負傷した傷が悪化して慶応4(1868)年8月16日に只見で亡くなりました。河井を焼骨した後、当初は会津若松市にある建福寺に埋葬され、従僕の木川松蔵の尽力により栄涼寺に移されています。継之助の墓は他の人と異なり、明らかに削れています。これは、北越戦争を引き起こした張本人として、町民らが鍬や石などで叩いた事により出来たとされています。
栄凉寺の本殿・本堂
本殿・本堂
栄涼寺本堂です。北越戦争では、新政府軍の野戦病院として利用されました。
栄凉寺のその他建物
その他建物
長岡藩軍事総督として北越戊辰戦争の指揮をとった河井継之助をはじめ、12代藩主牧野忠訓や北越戊辰戦争…
栄凉寺のその他建物
その他建物
長岡藩軍事総督として北越戊辰戦争の指揮をとった河井継之助をはじめ、12代藩主牧野忠訓や北越戊辰戦争…
栄凉寺の仏像
仏像
長岡藩軍事総督として北越戊辰戦争の指揮をとった河井継之助をはじめ、12代藩主牧野忠訓や北越戊辰戦争…
境内をもっと見る

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
行った
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ