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りょうみょうじ|浄土真宗本願寺派瀧谷山

了明寺
新潟県 越後滝谷駅

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名称了明寺
読み方りょうみょうじ
電話番号0258-22-2181
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www2g.biglobe.ne.jp/~ota/
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詳細情報

山号瀧谷山
宗旨・宗派浄土真宗本願寺派
ご由緒

了明寺の歴史
了明寺の起源は真言宗であり、長承年間(1132~1140)、沼垂郡沼垂村に威徳院として建設されました。

承元4年(1210)、親鸞聖人38歳の時、富山へお立ち寄りになった際、住職権大僧都直法院(俗名岩崎七郎左ヱ門)は、他力易行(お念仏の教え)の法を聞き弟子となり、法名を了明房釋真観と授けられ、紺紙金泥六字名号(南無阿弥陀仏)を書き与えられました。

その後、250年を経過した応仁2年(1468)、本願寺第8代蓮如上人がお立ち寄りになり、名号のご染筆を残されています。このとき、威徳院を改め、開基となる真観へ授けた法名をもって了明寺としました。その時の住職浄雲をもって中興の祖としてています

弘治2年(1556)、沼垂城主武者善兵衛包利と高田春日山上杉景勝家との争い(沼垂城責め)により本堂を焼失しました。親鸞聖人、蓮如上人の両師より賜った名号と真言宗の護摩壇にあった不動尊の霊像は不思議に残り、その他の霊宝はこのとき灰燼に帰しました。この時、了明寺は魚沼郡高嶌(現在の小千谷市)に移転しました。

その後、元亀2年(1571)に第四世浄慶の時に高嶌より古志郡六日市に移転、さらに元和2年(1616)8月、六世祐存の時に、不動尊の霊夢によって古志郡六日市村滝谷に移転したとされています。このとき、不動尊は書院の東に小堂を造り安置しました。

貞享4年(1687)3月、本堂より出火し、鐘堂、書院、地中徳圓寺を焼失しました。

その後、100年を経過し、天明年間中(1781~1788)に本堂を再建、寛政年間中(1789~1800)に庫裏を造り替えています。

文政元年(1818)に、不動尊の小堂を雄滝の間へ移しました。再建にあたった大工は棟梁蛇山粂七であったと言われています。

天保10年(1839)7月には再び本堂を焼失、弘化2年(1845)に本堂を再建。現在の本堂はこのときのものです。ご宮殿の背部への記名により棟梁は三仏生の大工丈八だったことがわかっています。

大正11年(1922)、本堂屋根が木羽屋根から瓦屋根に葺き替えられ、その後、昭和27年(1952)に庫裏が改築されました(棟梁、蛇山、細貝新次郎)。

昭和43年(1968)8月1日に、財団法人弘誓会岡南保育園(認可施設)を設立、幼児保育を寺院としての活動の一つとして位置づけました。

その後、昭和52年~55年(1977~1980)に大規模な境内整備、墓地整備を行い、昭和56年(1981)に本堂屋根を瓦葺きから銅板に葺き替えました。

平成16年(2004)10月23日、未曾有の地震となった中越地震が発生し、本堂土壁が大きく落下、庫裏裏山が崩壊して庫裏は一部を残して全壊となりました。門信徒の住居もその多くが全壊または半壊の被害を受け、一方、当地滝谷の本村にはその後1年半にわたって避難勧告が出されました。

平成17年(2005)秋から裏山の急傾斜地崩壊防止工事が国と県の事業として着工され、翌18年春完成。現在、門信徒のご懇志を受けて新庫裏の建築が行われています。

平成18年(2006)12月、中越地震の発生から2年を経て、新庫裏が完成、年始接待を新庫裏で行うことができました。(門徒総代細貝久雄、設計・建築・施工小熊建築・斉藤設計事務所)。

平成27年(2015)11月、若当院釈誓慈の結婚式を本堂御仏前にて行いました。

(以上、平成29年6月11日訂正)

滝谷の町名

古く「滝谷」の語源は「タケヤ(岳ヤ)」であり、この地は堅牢な岩盤に支えられた山岳地域でしたが、後に了明寺の庭園裏山に男滝と女滝の二本の滝が生じ、「タケヤ」が転じて「滝ダニ、滝ヤ(滝谷)」となったとされます。

「天正村名考」に、天正年間(1573~1588)において「滝だに三十八軒、山の口十二軒」であったとあります。「滝だに」は「滝谷」であり、「山の口」は滝谷のうちとされています。
この頃からこの地が「滝谷」と呼ばれていたと思われます。

元和4年(1618)の牧野氏知行目録には「滝谷村高94石9斗余」とあり、さらに正保元年(1664)、正保国絵図には「滝屋」とあります。

滝谷は、明治22年(1889)に山谷沢村に、明治34年(1901)に六日市村に、昭和29年(1954)に長岡市に編入されました。

(以上、平成29年6月11日記載)

歴代住職等

○開基 了明房    (天元元年8月1日化)
○2世中興 釈浄雲 (永正13年3月1日化)
○3世 釈浄了    (天正12年7月12日化)
○4世 釈浄慶    (文禄元年3月2日化)
○5世 釈明月    (慶長10年7月12日化)
○6世 釈祐存    (寛永5年4月3日化)
○7世 釈宗慶    (延宝3年9月4日化)
○8世 釈蓮智    (元禄7年6月5日化)
○9世 釈圓智    (宝歴4年6月2日化)
○10世 釈圓應    (安永6年3月9日化)
○11世 釈圓泰    (文化5年12月18日化)
○12世 釈圓離    (文化10年6月7日化)
○13世 釈義諦    (天保7年2月21日化)
○14世 釈了諦    (明治6年3月14日化)
○15世 釈法梁    (昭和7年9月22日化)
○16世 釈淳昭    (昭和28年5月31日化)
○17世 釈哲爾  当院 釈智徳、若当院 釈誓慈
門徒総代 位下弥太郎、岡元貞一、内山浩三、細貝秀治、細貝久雄、大宮五十男(歴代順)

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