とみじんじゃ
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楽しみ方等彌神社のお参りの記録一覧(2ページ目)

明治初頭まで能登宮と称していたが、延喜式神名帳の大和国城上郡等彌神社である事が判り、現在では等彌神社と称されています。
神社裏の山は鳥見山といい神武天皇が東征の折、宇陀の地から橿原に入る際に初めに着いた山で、即位後に皇祖神を祀り大嘗祭を行ったとされています。
「とみじんじゃ」の「とみ」は鳥見山からこれから攻め込む橿原の地を遠見した事からくるのではという説もあります。
境内図
御祓殿石
猿田毘古社
恵比須社
下津尾社
稲荷社
稲荷社
弓張社
本殿
儀式殿(参集所・神饌所)

#等彌神社
ご祭神はオオヒルメムチの尊、神武天皇、ホンダワケの命、タカミムスビの神、アメノコヤネの命。
#神武天皇
和風の名前はカムヤマトイワレビコの命。古事記では神倭伊波礼毘古命、日本書紀では神倭磐余彦尊。古事記・日本書紀とも、ウガヤフキアエズの尊とタマヨリヒメの命の御子とする。
恒泰古事記は、神武天皇がアマテラス大御神の子孫であることに加え、母系の血筋もかなり強調していた。
アマテラス大御神の子孫で、”たかまのはら”から初めて”葦原の中つ国”に降臨したのがニニギの命。彼の子がヒコホホデミの命、孫がウガヤフキアエズの命、ひ孫が神武天皇だ。ニニギの命の妃は、オオヤマツミの神の娘のコノハナノサクヤビメ。ヒコホホデミの命の妃は、ワタツミの神の娘のトヨタマヒメの命。ウガヤフキアエズの命の妃は、同じくワタツミの神の娘のタマヨリヒメの命。オオヤマツミの神は山の神で、ワタツミの神は海の神だ。
かくして、神武天皇は太陽神のみならず山と海の神様の血をも引くことになる。
恒泰古事記だと、政治的な意図のもと創作された系図、みたいな含みだった。だが僕は、ギリシャ神話などを先に読んだせいか、天体とか雷とか大地とか、そういった自然物の神様が特に好きなんだ。そんな個人的な好みが、神武天皇の血筋に対する僕の関心の原点だったりする。
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