すさのおじんじゃ
素盞雄神社のお参りの記録一覧
素盞雄神社 與喜天満神社から長谷寺への参道沿い
素盞雄神社 與喜天満神社から長谷寺への参道沿い
素盞雄神社 與喜天満神社から長谷寺への参道沿い
素盞雄神社 與喜天満神社から長谷寺への参道沿い
與喜山の麓 玉鬘神社のお隣に鎮座されています。
與喜天満神社と関わりのある神社です。
御祭神は素盞雄命です。
社伝によれば 天暦二年(948年)に神殿大夫武磨という人物が近隣の「與喜天満神社」を創建した際 背後の與喜山(天神山)はアマテラス降臨の山であるためその弟のスサノオを鎮めねばならないとして祀ったのが当社の創建であると伝えられています。
與喜山には 天照大神と素戔嗚尊の兄弟が祀られているということですね。
「與喜天満神社」およびその背後の與喜山は 元伊勢「伊豆加志本宮」であるとする説があり 当社の社伝はこれに基づくものでしょう。
ただ 当社は牛頭天王を祀る祇園信仰の神社として祭祀されたため 疫病除けに験があるとして中世以降に全国的に盛んになった祇園信仰の神社として 当地に牛頭天王が勧請されたのが実際のところだったのかもしれません。
立派な社殿があります
手水舎
鳥居と立派な石柱
扁額もかっこいい
由緒書
拝殿
けっこう古いです
境内摂社
與喜天満神社から長谷寺の方に降りて行くとある神社で、與喜山に天照大御神さまがご降臨なされた伝説に伴い、弟神である素戔嗚尊さまも祀られたとされています。明治まではこちらにも廊土寺と呼ばれる神宮寺があったとか。
初瀬は本当に寺社が沢山あり、多くの信仰がひしめいていたようです。
《鳥居と社号碑》
とはいえ、菅原道真公の御霊が迎えられ與喜天満神社が創建されて時に同じく創建されたようですね。
《由緒書きと大銀杏》
👁チェックポイント‼️
御祭神には社名にもなった素戔嗚尊さまともうお一方、大倉比売命さまとあります。この方はもともと式内社である鍋倉神社に祀られていた神様で、明治の神社合祀政策によってこちらに合祀されました。
現在、鍋倉神社は別のお社として再興しています。
《手水舎》
水も流れていますし、柄杓も準備されています。
《拝殿》
こじんまりとしていますが、しっかりしています。
よく見ると高欄の色が右と左で色が違いますね。陰の関係なのか右だけ損傷して修復したのか…
《社務所》
普段は無人のようです。御朱印があるという情報もないですね。
《末社・秋葉神社》
《十三重塔》
現在残る仏教要素の一つですね。
《何かの作品》
斎部哲夫という方の作品らしく題名は「流星と四角い風」とあります。たしかに上の四角い木材の模様が尾を引く流星…のように見えますね。
《玉鬘神社》
素戔雄神社の向かいにある神社で、素戔雄神社の由緒書きには末社としても境内社としても記載がなかったので、独立した神社なのかもしれません。
《玉鬘神社の由緒書き》
社名は『源氏物語』題22帖、そして登場人物の一人に由来します。光源氏が口説くが祟りにあって息を引き取った夕顔の娘で、一度母を探して旅に出ようとしますが、ことの顛末を知り光源氏に引き取られ幸せな人生を過ごしたそうです。
奈良県桜井市の與喜山の麓に鎮座されています。
與喜山中腹には與喜天満神社が鎮座されています。
また、大和川を挟んで向かい側に長谷寺があります。
與喜天満神社のHPによりますと、與喜山は古代は大泊瀬山と呼ばれ、天照大御神が降臨されたところとして伝えられているとのことです。與喜天満神社境内には、天照大御神が御祭神であるとされる「磐座の鵝形石」が鎮座されています。
天暦二年七月(948年)に與喜天満宮が創祀されたおりに、麓に天照大御神の弟神である素盞雄命を祀ったのが創祀と伝えられているとのことです。
明治四十一年に延喜式内社堝倉神社(大和國城上郡)が合祀されたとのことです。
参拝したのは十一月末で、境内の大銀杏の黄色い葉が散り始め、絨毯のようになっていました。
感謝です!!拝。
初瀬街道から見た與喜山
與喜天満神社御本殿
與喜天満神社境内に鎮座する「磐座-鵝形石」(御斎神-天照大御神)
奈良県のおすすめ2選🎌
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