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2026年05月17日(日) 09時17分 bysoo_cyan
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浄土宗
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延享三年(1746)行者堂の前身堂として行者堂の東、寺川との間のムクノキの傍らに地蔵堂があった。 田原本平野藩の寺院本末御改帳に「本誓寺末寺地蔵堂 開基・開山は不詳、本堂二間四面、本尊地蔵菩薩、境内東西四拾三間、南北三間、但し無年貢地」とある。 またこの場所から「卍」模様の小型軒瓦が出土した。 明治時代、地蔵堂が老朽化して無くなったため、ここにあった「役行者倚像、前鬼像、後鬼像」を信仰心の篤い新地で現行者堂二軒隣の「戸屋久」の妻が自宅離れで祀っていたが、亡くなった後は地蔵堂の本寺である本誓寺へ預けられていた。 大正三年頃、風邪が大流行(大正のスペイン風邪)し、これは「役行者倚像、前鬼像、後鬼像」を地元新地で祀らなくなったための「祟り」であると云われた。そこで新地青年団が中心となって当時まで田原本陣屋町を四周していた総堀の田原本陣屋町と、その南の家並みを隔てていた幅三間ほどの南堀を堤の土で埋め立てて行者堂の敷地を造成し、行者堂を建立。「役行者倚像、前鬼像、後鬼像」を本尊として祀って現在まで人々に厚く信仰されている。毎年4月の第一日曜日に春季護摩法要が伝統祭禮行事として厳粛に行われている。
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延享三年(1746)
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大正三年頃
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田原本御佛三十三ヶ所巡礼第十七番